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秋にして君を離れ・VTuberの引退について思うこと

この記事は、VTuberの引退に関して、自分の中で整理しようと考えたことを綴ったものです。
アガサ・クリスティの小説、「春にして君を離れ」のネタバレ(全編のあらすじ)を含みますので、知りたくない方は注意してください。

春にして君を離れ

「春にして君を離れ」は、アガサ・クリスティの小説としては珍しく、推理物ではありません。大きな事件は起こらず、それどころか、主人公の女性が一人で考え事をするシーンが大部分という小説です。

主人公のジョーンは、名門のお嬢様学校を卒業して弁護士の妻になり、3人の子供を育て上げ、満ち足りた人生を送っていると自分では思っていました。末娘の家庭を訪問するために1人でバグダッド(当時はイギリス領だった)に行き、そこからイギリスに帰る途中に悪天候にみまわれ、砂漠の真ん中の宿泊所で何日間も足止めされてしまいます。退屈で考え事しかやることが無い彼女は、自分のこれまでの人生を回想し、考えに沈むうちに、自分が完璧と思っていた家庭は実は壊れていて、夫や子供達にひどいことをしていたということに、次第に気づかされていきます。その過程がサスペンスだと言えます。

ジョーンは反省し、夫のロドニーに謝罪しようと決心します。でも帰宅して日常風景の中に戻ると、あれは旅先での気の迷いだったのだ、と思うようになり、これまでと同じように、偽りの「幸せな家庭」を守ることを選んだのでした。

人は自分が見たいものを見る

この作品の解釈はいろいろあるでしょうけれど、私は作者が言いたいことは、「人は自分が見たいものを見る」だと思いました。ジョーンの要素は誰にでもあり、人間そういうものだと。

例えば「自分は結婚しないけど幸せだ」という人がいたとします。最初は好き同士でもいずれ飽きるだろうし、子供が出来てもグレるかもしれないし、自分一人で生きたほうが幸せだと。これは一つの見方で、そう信じて生きていけるなら、何の問題も無いと言えます。でも「そう見たいから世の中をそう見ている」という面も含まれているでしょう。

「仕事は忙しいけどやりがいがある」とか、「お金はあまり無いけど趣味があるから幸せ」とかもそうですね。「現実から目をそむけている」という言い方がありますが、そもそも「確固たる現実」なんてものは、たいてい無いので、そう信じて生き続ければノー プロブレムなことが多いでしょう。人はそういうもので、それで幸せならばいいと。ジョーンは極端な例ですが、普通の人も多かれ少なかれ、見たいものを見て人生を送っているはず。極論すれば、バーチャルリアリティですかね。VRゴーグルとか無くても、人はそれぞれの「こうあるべきだ」と信じるバーチャル世界を認識して生きていくことができます。

VTuberは、見せたいものを見せる

ジョーンが「見たいものを見る」の極端な例だとすれば、VTuberは「見せたいものを見せる」の極端な例ではないでしょうか。

VTuberはアニメのキャラなどと違い、魂があって生きているようにふるまいます。でも現実の人とは違い、自分のプロフィールや日常生活などについて本当のことを言う必要はありません。リスナーに見せたいものを見せるための「設定」があり、設定を守るためには本当のことを言えないことも多々あるわけで。嘘を付いているのではなく、VTuberはそういうものです。どこまで地を出すかはVTuberによりますが。

エンターテイメントというのは、お客が見せたいものを見せて楽しませるものです。VTuberもエンターテイメントの一種で、裏側を見せる必要はありません。映画のメイキング映像がありますが、あれもガチで大変だったことは言えないわけで、「大変だったけど克服した」というエンタテイメントに仕立てています。VTuberも裏話をしたり、弱音を吐いたりしますが、それも言ってしまえばエンタテイメントの一部です。言い方が悪いかもしれませんが。

「見せたいものを見せる」と「見たいものを見る」は、うまくかみ合うと最高に相性が良く、VTuberとファンの関係はこれです。VTubeは仮想的な人格だけに、見せたいものだけを見せられるし、見たいものだけ見たいファン側は、そういう理想の人格が存在して、自分の人生を彩ってくれると信じられます。

でも一旦かみ合わなくなると、どうでしょうか。VTuberがバーチャルなものであるのに、さらに「見たいものだけ見る」というバーチャルとの掛け算なので、発散してしまいがちです。道標になるリアルな物が何も無い。

VTuberの引退に際して、シンプルに悲しんでいる人がいる一方で、運営を批判したり、メンバーを批判したり、陰謀論を唱えたり、VTuberは終わったと言ったり、そういう人を批判したり、いろんな人がいるわけですが、みんな見たいものを見るしか無いので、間違ってはいないのです。でも真相というものは存在しない。

一つだけの確かなもの

「春にして君を離れ」の最後の章は、夫のロドニーの視点になります。彼は妻ジョーンのことを、ジョーンが望んでいるようには愛していないけれど、でもひとりぼっちなジョーンのことを可哀想だと思っていて、願わくばジョーンがその事に気づかないまま、幸せに暮らして欲しいと思っています。これは物語のラストの文です。

 君はひとりぼっちだ。これからもおそらく。しかし、ああ、どうか、きみがそれに気づかずにすむように。

ジョーンのほうも、ロドニーを幸せにできなくて申し訳なかったという気持ちで、一時は強く後悔していました。すれ違っているが、お互いの幸せを願っているという点では繋がっているわけで、それがこの物語のせめてもの救いです。

VTuberが引退すると、前述のようにいろんな意見が出るし、何が正しいとも言えないけれど、そのVTuber(の魂)が幸せであってほしい、という気持ちは共通しているのではないでしょうか。数少ない「確かなもの」のはず。そこは伝わるようにしたいですね。陳腐な結論だけれど、今言えることはこれだけです。幸せを願っています。

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