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【下書き発掘】東京を手放して半年が経った。

この記事は2022年の4月に書いたまま下書きに入っていたものです。せっかくなので供養の意味も込めて投稿します。読みやすさのために一部修正していますが、基本的には原文ママです。




先日、約2年前に書いたこちらの記事を投稿しました。

そして、昨年の夏の終わりに東京生活を手放しました。
それから半年以上が経って。

やっぱり地元では観たいミュージカルが観れなかったり、このお店のあれを食べたいと思っても買いに行けない。交通がちょっと不便で、自由に移動がしにくかったりもする。

でも、思っていたよりもアッサリと受け入れて進んでいる気がする。

ひとまず仕事を始め、家と職場の往復が始まった。
忙しい時期もあるし、大変な作業もある。
でも、キャリアを築くために人を押し退ける、
みたいなことはここにはない。
ストレスがないわけじゃないけれど、
人一倍頑張って認められるようにしなきゃ!とか
なめられないようにしないと!みたいな焦りはなくなって、
そりゃ多少愚痴を言ったりはするのだけど、
以前と比べると穏やかな毎日を過ごしている。

少なくとも私が仕事として続けていこうとしていることは、
毎日会社に行かなくても成立する仕事だ。

そして、前回の投稿をした時に私が続けたいと思っていた仕事を、今では続けたいと思っていない。
今年の1月に海外の大学院に出願し、合格をいくつかいただいた。
大学院で学んだ先にやりたい仕事を見つけた。
もちろん保証はないわけで、リスクは伴う。
でもリスクは「避けるべき危険」ではなくて、「挑戦」なのだと誰かが言っていた。
だったら自分を信じて進んでみるしかない。たぶんこれが最後の足掻き。
とことんやってやろうじゃないの。

縁があれば、離れても戻って来ることになるはずだから。
そうでなければ、私の場所ではなかったということだ。

今のところ、東京に戻ることはないと思う。
用事で行くことはあっても、東京やその近郊に住んで、そこでお仕事をすることは、少なくとも今後数年はないと感じている。
それどころか、日本を離れようとすらしているわけで。
だから多分、私には長く続くような縁がなかったんだろうと思っている。

距離感。
これがやっぱり私にはキーワードみたいで。
地元に帰ってきて感じるのは、東京のシェア生活の距離感が心地よかったこと。東京という街で働く人たちの距離感はあまり合わなかったけれどね。
でも、地元の、実家の、距離感はやっぱり苦手なんだと思う。
本来は心地良いはずの距離感だと思うのだけど、幼い頃から適度に壁を作っていたからか、その感覚が抜けないみたい。

東京や地元、そして日本から離れたところで、
その心地よい距離感の中で生活できるとは限らないことはわかっている。
でも、その場所を求めて旅に出ても良いはずだから。
戦略的撤退。あるいは、戦略的逃避。

苦しいなら無理してその場所に留まる必要はないから。
私は「東京を離れる」というカードを使って、「日本を離れる」というカードを手に入れた。
だったら使ってみるだけ。やってみなきゃわからない。
前に進む限り、未来は明るくて楽しいはずだ。

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