見出し画像

開放の雨

しとしとと雨の降るとある日の朝。

気分が冴えずベッドの上で何分もゴロゴロと過ごしてしまった。

ようやく体を起こした時には10時になっていて、起きて時計を見た時から2時間が経っていた。


雨は決して嫌いではない。むしろ好きだ。

どんなに嫌なことがあった日でも、雨音さえ聞けば眠りに落ちることができた。


その日の雨は私の涙だった。


私は昨日、恋人に振られた。人生で初めて振られるという経験をした。


それまでの私は恋人を作って、楽しい日々を過ごすも、プツンと糸が切れた途端に別れを言っていた。

高校生でできた恋人はかっこ良かった。サッカーに一生懸命で、何事にも一途でそんな彼に私は支えられた。しかし、束縛の激しさに、ある日突然嫌気がさして糸が切れたのだ。


大学生で付き合った彼は韓国人だった。私の通っていた大学は中国人や韓国人が多く在籍する少し特殊な大学だった。

同じクラスになり毎日クラスの課題を一緒にして、そのうちお互いの家に遊びにいく仲になった。

私たちが付き合うまでにそんなに時間はかからなく、大学4年間はほぼ彼と過ごしたと言っても過言ではない。


しかし社会人になった4月。

新しい世界。新しい人間関係。多くの真新しさに出会い、久しぶりに新鮮な感覚を思い出したのだ。その感覚に気づいたと同時に、彼に向ける気持ちがちっとも無いことにも気づいた。

結局、私の一方的な別れで彼とは絶縁になった。


そして今回、私は会社で10歳年上の彼に出会った。彼はレストランのシェフをしている。

私は都内の高級ホテルに就職をした。

就職活動も上手くいかず、希望に添う会社に就職をする形とはならなかったが、良い職場だった。

いつも真顔で仕事をしている姿に「なんて無愛想なんだ」という第一印象を受けたが、誰にも分け隔てなく接し、仕事をこなし、愚痴をも溢さない、真面目で温和な人物だった。そんな姿をいつしか目で追うようになった。

そして、

「私と食事にでも行きませんか?」と誘った大晦日の夜。

それから何度かのデートを重ね、私たちは付き合うようになった。


私たちは互いに深く干渉することなく、お互いのペースを大切にしながら付き合える仲だった。年齢が10歳も離れているというのも理由だったのかもしれない。

彼はシェフだったので、休日はいつも美味しい料理を作ってくれた。私は料理が苦手というわけではなかったのだが、彼の前で料理をするのには正直抵抗があった。


しかし、1年記念日には彼の大好きなカレーを作った。少し高めの牛肉の入ったカレーだった。彼は「優しい味がする」と言ってくれた。


私は彼の家にいることが多かった。

なので必然的に彼の部屋を掃除し、洗濯も欠かさずに行った。

すると彼は「洗剤、もう無くなりそうだね」と言った。「買いに行こうか」と私は言う。


「お腹空いた?」と彼が聞く。私はお腹が空いていたが「まだ大丈夫だよ」と言った。彼はシェフの割にかなりの痩せ型だった。むしろ、この私よりも痩せていて、そんな彼に向かって「お腹空いた」と言う言葉を発することが恥ずかしく思えたので遠慮した。


何もかも順調のように思えたが、その日は突然だった。

「別れようか」

生まれて初めてそんなことを言われて頭が真っ白になった。

ひどく動揺して、心臓が変にどくどくした。彼の目を見つけようとしたが、視線が泳いで焦点が一向に合わない。

耳の中では「別れようか」と言う言葉がうるさいくらいに何度も繰り返され、ようやく反応したのは目から流れ落ちる1滴の涙だった。



上手くいかなかった時は無かった。平和そのものだった。

付き合って2年以上経つのに、1度も喧嘩したことがなかった。


しかし、私たちは無意識のうちに嘘で作られた日々を送っていた。


私がカレーを作るときは牛肉を使用したが、彼の1番は鳥のもも肉を使用したカレーだった。

洗濯はあまり柔軟剤の香りを好まなかったが、私は香りが気になるタイプでたっぷり使用していた。

本当はお腹空いていたけど、痩せた彼の姿を見て劣等感を感じた私は我慢をした。


彼の目は優しくただ真っ直ぐに私を見つめていた。

私はそんな目を見て何も言えなかった。

外は天気予報通り、雨が降りそうだった。



そして私は今、自分の部屋で雨音を聞いてぼーっと外を眺めている。


知らなかった。

私は身勝手だった。


私がかつて付き合って振った人たちは、こんな気持ちだったのだろうか。


なんの前触れもなく、突如終わりを告げられる。


私は別れを告げた次の日には、あまり落ち込むことなく、むしろ解放的な気持ちになっていた。

彼も明日になれば、私のことなんかキッパリ忘れて解放的な気持ちで毎日を過ごすのだろうか。

そう考えると、胸が苦しかった。


私は自分が1番なのだ。自分が可愛いのだ。自分を守ることで精一杯で、自分が苦しい状況になればなるほど、他人のせいにして自分を解放する。


彼は気付いていた。

だから彼は、彼から私を解放したのだ。

彼は最後まで彼で、優しかった。


最後の最後まで彼は私を1番に考えてくれた。


彼に出会うことがなかったら、この名のない痛みを知ることは一生なかったかもしれない。


そして私は、ただ雨音に身を任せ、再び眠りにつくのであった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?