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夜のれんげ畑 〜ゆく年に寄せて〜

ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ
/永井陽子

『なよたけ拾遺』「うみに咲くはな」より

ネットサーフィンとはよく言ったもので、調べ始めた当初の目的も忘れるほどに好奇心とはあちらこちらへ飛ぶ静電気のようなものだと思う。その時もわたしはたまたま耳にした方言の意味を調べていたつもりが、いつしか迷信のことを夢中になって調べ始めていた。「寝る前に爪を切ると親の死に目に会えない」とはよく聞くけれどこれは「夜」「爪」が「夜詰め」(=通夜)を連想させるからなんだとか。そういった類の迷信を見ていくうちに、中のひとつにふと目が止まった。それは「落ちている櫛を拾ってはいけない」というものだった。うん、確かにわたしの地元でも聞いたことがある気がするけれど、理由までは知らなかった。そこには「櫛」は「苦」「死」に通じるから、と書かれていた

「櫛を拾う」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、歌人・永井陽子の代表作「ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ」である。この歌は『なよたけ拾遺』所収の「うみに咲くはな」の中の一首であるが、唐突にも思えるこの「櫛」の登場にあまり注意を払ったことがなかった。そうか、きっとそうなのだ。この歌の「櫛」は恐らくこの迷信を下敷きにしている。同じ作者に「ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり」の歌があるように、この歌も強調の意味で繰り返したり倒置したりする技巧の延長線上にあるのだろうと単純に考えていた

「うみに咲くはな」の冒頭の一首は「ちちははのくにへとつづく夜をなべてさびしからずや水に棲むひと」である。櫛を拾ったあとは「ごっそりとあなたの影をぬすみたくついてゆく夜のれんげ畑は」「この家の血すぢの絶えしつちにさへはながいちりん咲くやもしれぬ」と続く。これでは「夜のれんげ畑」は冥府への入口ではないか。こうして見えてきたこの歌の含意を、わたしなりに解釈するとこのようになる

<夕ぐれに櫛が落ちている。わたしが手を伸ばしたならきっと『およしなさい、そんな物を拾うんじゃありません』と言ってくれたはずの父や母も今はなく、櫛はやすやすとわたしに拾われてしまうのだ…>

そして父母の影を慕う「うみに咲くはな」は、これもまた有名なこの一首で結ばれる

てのひらの骨のやうなる二分音符夜ごと春めくかぜが鳴らせり
/永井陽子

『なよたけ拾遺』「うみに咲くはな」より

(了)