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矛盾に満ちた『人間』という私

私は小学生の頃から友達と遊ぶことに対しての優先順位は低かった。
休日に遊ぶ予定を入れる時は常に自分の心としっかり相談していたし、
放課後は友達と遊ぶよりもすぐに家に帰って一人ゆっくり過ごす時間が大好きだった。
思春期も、私の発言や行動で人を笑わせることは大好きだったけれど、
大人数で遊ぶこと自体は好きではなく、放課後に遊びに誘われても
断ることのほうが多かった。
断る回数が多いので、「いつも無理やん」「ノリ悪い」と言われたこともあった。
その当時は、今よりも人の目が気になる、多感な時期。そう言われるたびに落ち込んでいた。
なんだか心底申し訳ないと思ったし、もう誘われないかもしれないという、
謎の不安にも襲われた。誘われたくないのに誘われたいのだ。
それに、自分が遊びたいのか、遊びたくないのか、その答えがわからず、
瞬時に判断することができないことが多かった。
今でこそこんな風に、文章にして書けるようになるほどには
自分の性格を理解できるようになったと思うが、
当時はこの複雑な感情を周囲にうまく伝えることは難しかったし、
絶対に理解してもらえないと思った。
自分の心を守るため、日を追うごとに本心を言わなくなっていった。
自分でさえも、自分のこの矛盾が多すぎる性格をまだ全く理解できていなかったと思う。
人間が持つ矛盾のあまりの多さ、それに加えた自分の性格の複雑さに対して真剣に向き合い始めた時期だったかもしれない。


当時、周りの友人達を見ていると、遊びに誘われた時、
明確な用事がある時以外にその誘いを断る子は少なく、
心から楽しいと思って遊んでいる子たちがほとんどのように見えた。
もしかしたら、心の中では私と同じようにこんな葛藤を抱えていた子もいたかもしれない。きっといたとは思う。
でも、私からはそんな風に見える子はいなかった記憶がある。
人の心の中はわからないが、この勘はまあまあ当たっていると思う。
なぜそう思うのかというと、成人してから当時の友人達と集まって思い出話をした時、
その友人達からは「楽しかった」という感情の類の話しか出てこないからだ。
また、その友人達は、今でも当時の同級生達と割と頻繁に集まっている。
その集まりに誘ってもらえることもあったが、ほとんど断っていた。
大勢の人間と会うことは一番体力・気力を消耗する。
会うことが決定し、お店を決める相談をしている段階から気力の消耗は始まる。
むしろまだ会っていない時から消耗している。
それが久しぶりに会う4人以上の集まりとなるとさらに消耗する。
みんなで食べたい物を決め、その条件に当てはまるお店を探して情報を送り合う。
この時、自分だけ提案できずにいたり、提案したお店が少なかったりすると
罪悪感に苛まれるし、その中でも率先してみんなに食べたい物を聞いたり、
場所を提案したり、お店をバンバン提案してくれる子がいると、
その仕切ってくれている子が、その役割が好き、または得意だから
担ってくれているのか、それとも仕方なくなのか、頻繁に会っていないので見極められず、なんだか申し訳なくなる。
この申し訳ない気持ちが行き過ぎてしまった時は、
ただご飯に行く約束をしているだけなのに、なぜか「私も頑張らないと」
という、自分でも謎の気遣いへの気合いが入ってしまう。気力消耗。
そして、誘ってくれた子がその役割を担っているならまだしも、そうではない時は余計に気を遣ってしまう。


そして当日、その当時の思い出話をするであろうことは目に見えている。
そのあと、前回の記事にも書いた通り、年齢・結婚・美容の話コースへ突入する。
もちろん思い出話や近況報告は楽しいし、上記のような話の中にもそれぞれの個性があって、おもしろさもある。
でも私は、一人で言葉・絵画・音楽・映画・その他の芸術作品などを通して
自分や様々な人の感性を楽しんだり、この世やあの世に溢れている
目に見えない神秘について物思いにふけることを最優先したい人なのだ。
それでも、意味もなくふと人を恋しく思ってしまうのが人間だと思うので、
仕事以外で長時間人と会うのは、ごくたまに、落ち着いたカフェで
友人と小一時間お茶をするか、おいしいパンやおにぎりをテイクアウトして
公園で食べ、これまた小一時間程お喋りしたりするぐらいがちょうどいい気がする。
というか正直、私は交際費にあまりお金を使いたくないので、公園でさくっとお喋りするのが一番良いなと思う。
こういうことを言うと、「中学生みたい」「ケチ」などと言われたりする
かもしれないが、お金をどこにかけるかは人それぞれだし、自分が優先
していることにお金を使っているのであれば別に「ケチ」なわけではない。
そもそも、『ただ会って話すこと』が目的なら、わざわざ食事に行く必要性もない気がする。
ただ会って話したいだけだからどこでもいい。何か食べても食べなくても良い。
それぞれ自分の食べたい物を食べたら良い。食べたい物が同じだったらいっしょに食べたら良い。
当日理由もなく行きたくなくなったら断る。途中で帰りたくなったら帰る。
シンプルにこういう行動がしづらい人間同士の関係に疲れてしまう。
というか、この正直な気持ちのまま人と付き合うと、
ほとんどの人からすると我儘すぎることがわかっているので気を遣ってしまう。

しかし行先・目的が決まっている場合は別だ。
例えば、何かのイベントに行くとか、海に行くとか、
こういった場合は新しい景色・感情・感覚と出会える可能性が高いので、
共有したいと思う友人を自分から誘ったり、率先して計画したりすることもある。
もちろん、その後の一人の時間はたっぷり必要だが。

人と会うための準備も含め、人と会うことが
何よりも一番疲れるくせに、人が恋しいという気持ちになる。
自分の行きたいところに、「この人も連れて行きたい」なんて欲も出る。
正直、人を恋しく思う感情なんてなくなればいいのにと思う。
もしなくなったとしても、今度はその感情を恋しく思うのだろうけれど。



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