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自分のために咲く花となる

7月16日、今日から第9期12のひめ神ベーシック講座がスタートしました。わたしは第7期(鳴る、成る)の回でひめゆい師となり、今回はスタッフでご一緒します。

第一回目の今日。みんなで一枚ずつ、今期の回へのひめ神さまからのメッセージを引いてみました。(おみくじ感覚♡)わたしが引いたのがこのはなさくやひめでした。

「自分自身であるために、他者の承認は必要ない」

このことは、ずいぶん長い間、わたしにとって理解できなかった部分です。(笑)わたしはいつもいつも、とてもビクビクしながら「どうしたらいいの?」という質問で前に進めなくなっていました。

どうしたらいいの?

わたしはどうしたい?

この変化を遂げるのに、だいぶ手こずりました!(笑)
実はここに向き合う筋力というものがあって、それが備わっていないと、さらりと逃げてしまうのです。そこから逃げるのがすごく楽なのです。けれどもそこから逃げていればいるほど、息苦しさも感じます。苦しくっても、現状維持が楽なのです。

自分がどうしたいのか?わかって動いているように見える人は溌剌としていて、みてて気持ちがよく羨ましかったりします。それで「いいよな、自分のことがわかってる人はさ」なーんて愚痴ってた頃。そういう人たちが真剣にたくさんの時間を文字通り割いて自分と向き合っているんだなんて、思いもしなかった。サクサクと自分を割り出すことができるソフトが生まれながらにインストールされているんでしょうよ、よかったですね。ぐらいに思っていました!

長いことわたしは、どうしたら周りの人は納得してくれるんだろう?と考えながら生きていました。どうしたら自分は納得できるんだろう?とは思わずに。

自分だけの答えを出すのは、勇気が入ります。何よりもわたしはそれをしていい、と思えなかったです。誰かを納得させなければならない。そう思っていた!自分の人生なのに!

「どうしたら自分は納得できるんだろう?」きっとキラキラしている人は毎日そればっかり考えています。とことん自分と向き合っています。そのことがようやく分かるようになって、すごーく楽になれました。

焦る必要が、ない。

焦ったり、急いだりする必要はない。自分との時間だけだから。

今でも、まだ、ドキドキします。
そしてドキドキするということは新しいフィールドにいる証拠。

わたしはいかにありたいか?
わたしは何を美しいと思うか?
わたしはどんな生活を実現したいのか?
試行錯誤を続けるうちに、見えてきたものがあります。

庭のあるお家。季節の植物を取り入れた食事。そばにある自然と共にある寝食の生活。暮らすことが真ん中にある時間を過ごしたい。手料理を作り、彩りを楽しみ、盛り付けには庭の草花をあしらい、ゆったりと食事をする。ある程度こざっぱりと片付けて、管理できない量のものや予定を持たない。

暮らしの土台は整ってきました。土を大切におこすことで、自然と花が咲く。自分が一番大切にしたいものを、自分がしっかり掴むこと。ここには忍耐も必要だったりします。そしてここをしっかりと通ったものだけが、相手の話を最後まで聞くことができる。自分の未熟さも相手の未熟さも抱えるうつわが育ってくる。

日本語では最後に大事な話をします。また、最後まで言わずにおくことも。自分の話も最後まで聞いてあげる。迷ってる時は、答えが出るまで待っててあげる。そうすると自然に相手の話も聞く余裕が生まれてくる。はず(笑)

このはなさくやひめを生きる時、すでに、いわながひめの時間が始まっている。(笑)

このはなさくやひめはまた、父親との良好な関係も示唆します。両親は自分という命のルーツです。もしそこに背を向けたり、否定したりする気持ちがあるならば、ご先祖さまから綿々と続くそのエネルギーを受け取ることができなくなります。

まずは自分の両親との関係を見直し、本当の自分の本音本心に気がつく。そしてそれを伝える。罪悪感や劣等感や自己嫌悪の気持ちで、ではなく、感謝の気持ち、素直な愛でつながる。

もしかしたら、わたしたちの親世代は、早く大人になるように促されていたのかもしれません。早く大人びて、大人らしく自立するようにと。戦争がそうさせたのかもしれません。そのせいか、子ども時代を思い切りできなかったのかもしれません。こどもの時の気持ちを十分に言葉にする時間を与えられなかったのかもしれません。そのせいで、うまく言えない。うまく伝わらない、そんなジレンマの中を苦しんできた世代なのかもしれないです。そしてそんな中で精一杯の愛情と信じられないほどの踏ん張りでわたしを育ててくれたのが父であり母なのだと思うようになりました。そうしたら自然と素直になれ、父にも母にも心の中で感じていた抵抗感が薄らいでいきました。

あなたはあなたのままで十分素敵だよ。

頑なになっていた間はこんなメッセージが届きにくくなっていたかもしれません。その結果、劣等感や罪悪感、自己嫌悪することが大事なことだと勘違いしていたのかも?それをしておけば、体裁がつく、と。そう思ってしまってたかな。わたしは自分を振り返って、そう思いました。

これまでは、他人に認められるために、劣等感や罪悪感や自己嫌悪を演出していたのかもしれません。ただそれだけなのかもしれません。

セルフプロデューサーとしては、この演出をやめる力が備わっています。

どんなふうに自分を演出してゆこうか?

ここを自分で決めているのです。だから、自分が自分演出にどんな設定を持っているのか?ここに気づくことが重要!!!

やまとことばで「愛する」は、めでる。と発音します。愛するとはめですること。見守り、見届けること。相手の変化を信じることができるから、最後まで見ることができる。ここにも忍耐があります。自分や相手の未熟さを抱えられる器が要ります。それは我慢ではなくて自分自身の成長を信じる心だったんだな。そう思うようになりました。

おとめからひめになり、そして大人のめがみへ。自分が成長してゆく姿を信じて見届けること。それが生きていく、ということなんだな、と今は思います。

女性も男性も生きている間ずっと成長し続けています。

おと=音=ね。寝ているひめがおとめ?
音はまだ目に見えません。風のように枝が揺れたら目に見える。
まだ目には見えないひめだから、おとめ?
まだ見えない、見にくいものを信じて見守る。
やっぱりいわながひめが始まっている。

こんなふうにひめを見ていると、背中合わせの二つ、に出逢います。
どちらか、ではなく、どっちも。が大事だということの深み。
ひとみず、陰陽の関係性。

このはなさくやひめは三人の火の神様を産みます。

ひのちからが眠っているのがおとめならば
ひを目覚めさせるこのはなさくやひめはひめのスタートなのかな。

どんな形であれ、今日を生き抜くわたしが素晴らしい!
自分をめで、相手をめでてゆく、和の生き方。
まだまだ未熟なところもあり、だからこそ愛でることができるのだということ。成長を見守ることができる。それは喜びでした。

未来を信じて今日も生きようね。わたし。

今日も最後まで読んでくださって、ありがとう!!!



ゆっくり自然なペースで更新していきます。