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魔法を探して

東京都江戸川区にある、魔法の文学館こと、江戸川区角野栄子児童文学館に行ってきた。

『魔女の宅急便』の作者として知られる角野栄子さんの作品や、彼女が自ら選んだ児童文学や世界の絵本を単に読むだけではなく五感全体で楽しむことができるとのこと。

高校からの友人と葛西臨海公園で待ち合わせ、大通りぞいのロイヤルホストで腹ごしらえし、近況をああでもないこうでもないと話したあと、足取りも軽く魔法の文学館へと向かった。

魔法の文学館は、旧江戸川沿いにあるなぎさ公園の敷地に建てられており、隣にはポニーに乗れる広場がある。小高い丘の上に建てられた魔法の文学館は、隈研吾の設計。斜めの屋根やランダムに配置されたたくさんの窓は、どことなく子どもの頃に熱中した秘密基地を彷彿とさせる。

入場は予約制。友人が事前に予約しておいてくれたおかげでスムーズに入場できた。
建物に入ってまず驚く。

ピンク!!!

どこもかしこも、ビビットなピンク。天井も壁も、(写っていないが)階段も、ピンクピンクピンクである。
なんだかもう、「有無を言わさず来場者をウキウキさせてやるぞ!」という気概すら感じる、潔いピンクである。
だがしかし、不思議なことに5分もいるとピンクに慣れ、温かみや居心地の良さを感じるようになる。思い思いの場所に腰掛け(階段に腰掛けられるようになっていたり、おこもりにぴったりな小さいスペースが建物の至るところにある)、気になった本を開いているのだから不思議。

角野さんの絵本を題材にした映像作品が見られるミニシアターや、角野さんのアトリエを再現したブース、旧江戸川を眺められる見晴らしの良いカフェなど、書きたいことはたくさんあるけれど、ここでは割愛し、わたしの心に1番残ったものをご紹介したい。

それは、角野さんのアトリエ再現ブースの横に貼られた、年表である(馬鹿ちんが、とさらさらヘアを振り乱した金八先生が、旧江戸川の土手を走ってきそうだが、うっかりして年表の写真を撮り損ねてしまったので、記憶を掘り起こして書く)。

1970年(35歳):ブラジル体験を元に描いた処女作、「ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて」でデビュー


1985年(50歳):「魔女の宅急便」執筆

35歳に、50歳。

織田信長なら本能寺で燃え盛る炎の中、舞を踊っちゃう年である。

友人と年表を眺め、思わず「はーーーー」と言ってしまった。35歳、50歳。角野さんは31歳で長女を出産されているので、35歳はきっと育児と執筆活動とで、想像を絶する多忙な日々だったに違いない。
現在89歳になった彼女は、魔法の文学館の館長も勤めているという。創作への活力、おそるべし。なんたるバイタリティ。

かたやわたしは、この1年、いや、5年、もっと言ったら人生、何をしてきただろうか。Twitterを開いては閉じて、Instagramを開いては閉じて、半径5mの暮らしで広い世界を知った気になって。

自分の不甲斐なさに、気持ちが暗くなりかけたとき、「何でもできるね」と友人が言った。

「まだまだ若いね」、「わたしたちこれからだね」と。

年表の前であんぐり口を開けて、「すごいね…」を連発する我々は、29歳。

何者になりたいのかも、そもそも何者かになりたいのかも分からない、29歳。

何者にもなれる、29歳。

まだ、29歳。

織田信長は50歳で劇的な人生の終わりを迎えたけれど、21世紀の今は人生100年時代。わたしたちには、夢を見る資格がある。


友人と別れ、ほくほくした気持ちで魔法の文学館について調べていると、開館にあたって角野さんが寄せたコメントを見つけた。

この文学館を訪れた皆さんが、自分だけの魔法を見つけて、家に持って帰ってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。

魔法の文学館
公式Instagram


この文学館には魔法が満ちている。わたしは、魔女に魔法をかけられた、人間の女の子(女の「子」と言うにはさすがに歳をとりすぎているけれど、ご容赦いただきたい)。

箒で空を飛ぶ練習をしてもよし、大鍋でぐつぐつ薬草を煮てもよし、

さあ、これから何をしようか、何ができるだろうか。

角野さん、ありがとう。魔法は、ありました!




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