もりためぐみ

閲覧ありがとうございます。 今まで看護師だからこその内容を発信してきましたが、 20年…

もりためぐみ

閲覧ありがとうございます。 今まで看護師だからこその内容を発信してきましたが、 20年前に亡くなった父との思い出や看護師として病院で経験し、 感じたことについてをつづっていきます。

最近の記事

自分を許し愛し認めてあげること。

「もう楽になってもいいよね?」 あの日、この言葉を聞いて、 世界一悲しい言葉だと感じた。 それと同時に、若くして命の灯火が消えかかろうとする中、 もがき苦しんでいる彼女の姿が、 ”私自身”であるかのように錯覚して怖かった。 母一人、子一人で必死に生きてきた姿を知っていたからこそ、 彼女にかける言葉が見つからず、 ただ頭が混乱して、 言葉を失って、 涙があふれた。 無力だなと思った。 あれから約5年。 現場をさってからも、 時々、彼女を思い出す。 私もこの5年間で紆

    • 彼女はどう生きたのか

      「最期の時に合わせてもよかったのか?」 10年以上も前にデスカンファレンスで議論された内容だが、 今でも答えが見つからずに時々考えてみる。 その方は30代の男性・血液ガン 娘さんが2人、確か9歳と5歳の姉妹だった。 亡くなった時に、同僚の看護師が独断で9歳の娘さんと面会させたことが、 本当によかったのか?と議論にあがっていた。 子供を持つガン患者にとって、 子供への告知はシビアな内容ではあるが、 医療者のふみこみにくいテーマでもある。 というように、子供の心はシンプル

      • あぁ、人生は美しいものなんだなと思った

        「子供がいたら違ったかもしれんね。」 80代の女性をおみおくりしました。 血液の病気は顔に青あざができてしまうことが多いので、 死後メイクで綺麗にしてさしあげると、 ご家族から喜ばれます。 ただ、独身や身寄りがない方の場合は、 綺麗に死後処置を施しても、 その姿を美しいねと言ってくれる人がいない場合がほとんどです。 それでも、病室を片付けながら、その人が生きた証をひろい集め 病院で過ごした時間は人生のほんの一部ではあるけど、 その姿を思い出しながら、死後処置を行います

        • 父へ

          高校2年中間考査の最終日。 最後の試験が終わってホッとしたとき、 担任の先生から「急いで帰りなさい。」と言われ、 片道1時間30分の帰り道をどうやって帰ったかはもう覚えていない。 けれど、嫌な予感がおさまらなくて、 電車の中で涙が止まらなかったことはすごく印象に残っている。 最寄りの駅に到着した時、 車で迎えにきてくれたのは、 母でもなく姉でも、兄でもなく、 いっちゃん(仮名・母の妹みたいな友人)でした。 その瞬間あぁ父は亡くなったんだなと悟ったけど、 条件反射で笑顔

        自分を許し愛し認めてあげること。