「もう楽になってもいいよね?」 あの日、この言葉を聞いて、 世界一悲しい言葉だと感じた。 それと同時に、若くして命の灯火が消えかかろうとする中、 もがき苦しんでいる彼女の姿が、 ”私自身”であるかのように錯覚して怖かった。 母一人、子一人で必死に生きてきた姿を知っていたからこそ、 彼女にかける言葉が見つからず、 ただ頭が混乱して、 言葉を失って、 涙があふれた。 無力だなと思った。 あれから約5年。 現場をさってからも、 時々、彼女を思い出す。 私もこの5年間で紆
「最期の時に合わせてもよかったのか?」 10年以上も前にデスカンファレンスで議論された内容だが、 今でも答えが見つからずに時々考えてみる。 その方は30代の男性・血液ガン 娘さんが2人、確か9歳と5歳の姉妹だった。 亡くなった時に、同僚の看護師が独断で9歳の娘さんと面会させたことが、 本当によかったのか?と議論にあがっていた。 子供を持つガン患者にとって、 子供への告知はシビアな内容ではあるが、 医療者のふみこみにくいテーマでもある。 というように、子供の心はシンプル
「子供がいたら違ったかもしれんね。」 80代の女性をおみおくりしました。 血液の病気は顔に青あざができてしまうことが多いので、 死後メイクで綺麗にしてさしあげると、 ご家族から喜ばれます。 ただ、独身や身寄りがない方の場合は、 綺麗に死後処置を施しても、 その姿を美しいねと言ってくれる人がいない場合がほとんどです。 それでも、病室を片付けながら、その人が生きた証をひろい集め 病院で過ごした時間は人生のほんの一部ではあるけど、 その姿を思い出しながら、死後処置を行います
高校2年中間考査の最終日。 最後の試験が終わってホッとしたとき、 担任の先生から「急いで帰りなさい。」と言われ、 片道1時間30分の帰り道をどうやって帰ったかはもう覚えていない。 けれど、嫌な予感がおさまらなくて、 電車の中で涙が止まらなかったことはすごく印象に残っている。 最寄りの駅に到着した時、 車で迎えにきてくれたのは、 母でもなく姉でも、兄でもなく、 いっちゃん(仮名・母の妹みたいな友人)でした。 その瞬間あぁ父は亡くなったんだなと悟ったけど、 条件反射で笑顔