才能が無いからと言う人

才能が無いから、という言葉は非常に便利である。
誰も傷つけないし、自分自身を無責任に許すことができる。
ストレス社会で闘う人々にとっては必需品とも言えるかもしれない。

では、才能とはなんだろうか。
ネット辞書で調べてみたところ、「物事を巧みになしうる生まれつきの能力。」と定義されていた。
つまり、先天的なものを指すようだから、それなら仕方ないと諦める理由にするにはもってこいである。

ここで一つ、誰かが何かを巧みに成し得た場合を考える。
それは当人の努力によってもたらされた結果なのか、それとも才能によるものか、もしくはその両方か、一体どのように判断するのだろうか。

プロの世界では才能ある人たちが集まって競い合う。
僅差で勝敗が決することが多い。
仮に、才能や努力が結果に与える影響度を数値化できると仮定した場合、努力値が才能値より大きい人もいれば逆も然りだろう。
つまり、当然ながら個々でばらつきがあるはずだ。

にもかかわらず、ほとんどの勝負が僅差であることが多い。
それは万人ができる努力がもたらす影響のほうが才能のそれより大きいため、と考えられる。
世界の1.2を争うレベルでは、限界まで努力を重ねた者同士が争う。
だから、勝敗を決める要因はそれ以外の微差によるものだろう。
当日の体調や精神状態などが挙げられるなか、ここで初めて才能の差がエントリーされる程度だろう。

プロは負けても才能を理由にしない。
更なる工夫や努力を積み上げていくだけなのだ。
一流の人間には才能の存在など眼中にないのだろう。

まずはできるところまでやってみる。
いつまでもその姿勢を大切にしたい。

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