【詩を紹介するマガジン】第18回、岸田衿子

「南の絵本」        
 
いそがなくたっていいんだよ
オリイブ畑の 一ぽん一ぽんの
オリイブの木が そう云っている
汽車に乗りおくれたら
ジプシイの横穴に 眠ってもいい
兎にも 馬にもなれなかったので
ろばは村に残って 荷物をはこんでいる
ゆっくり歩いて行けば
明日には間に合わなくても
来世の村に辿りつくだろう
葉書を出し忘れたら 歩いて届けてもいい
走っても 走っても オリイブ畑は
つきないのだから
いそがなくてもいいんだよ
種をまく人のあるく速度で
あるいてゆけばいい

 「明日には間に合わなくても 来世の村に辿りつくだろう」。幼いころ初めて読んだときには「来世」の意味を知らなかった。「らいせ」と振られたひらがなの音だけで覚えていて、てっきり「来瀬」みたいな名前の村があるのだと思っていた。
 
 明日には間に合わなくても、いつかは。
 
 そういうことを思うとき、よくこの詩が心を通り抜ける。とりあえず歩いていれば、どこかには辿りつくだろう。焦って焦って「どこにも着かない、もうダメだ」と諦めてしまうより、ロバやカメのように歩くほうがいい。諦めが早いのはいいこととは限らない。今世を諦めたら来世で報われない。
 
 歩いて葉書を届けたっていい。むかしはよくやった。公立の小学校に通っていたから、当然みんな同じ学区に住んでいて、電話をかけてもよかったのだけど、よく歩いてカードを投函しに行った。
 
 みずきちゃんが学校を休んだから、お見舞いカードを書いたとき。あゆみちゃんに年賀状を出し忘れて、元旦にポストに入れに行ったとき。鎌田先生に葉書を出すつもりで、そのまま郵便受けまで歩いたとき。
 
 そうやって届けられた葉書にはスタンプが押されていなくて、自分がもらったときにはすぐわかる。ああ家まで来てくれたんだ、と、手元の葉書を見た記憶。未使用の切手。
 
 世の中はすごく便利になりスピーディーになっていったけど、それはときどき私たちの首を絞めもする。もっと早く、即レスで。無駄な時間を使わないように。人を待たせないように。気づくとそのスピード感に疲れている。
 
 ちょっとゆっくりさせてもらえないかな。散歩しながら考えたいから……。「既読無視とかありえない」なんて言わないで、返事を考える時間をくれないかな。時間はかかるけど、必ず返事はするから。電車に乗り遅れたら歩いて行くよ。
 
 それくらいの、かたつむりのような速度ももっと、大事にされていいんじゃないか。
 
 歩いていれば、明日には来世の村に辿りつくだろう……。
 
 詩の原文とは違うけれど、自分はそうして覚えてしまったから、いまでも頭の中でそう言うことがある。歩いていれば、明日には着くだろう。明日に着かなくても明後日には。頭の中でつぶやくだけで、日常のせわしなさがトーンダウンする。
 
 
 岸田衿子は、「詩人」というにはちょっとジャンルが違っていて、童話作家や作詞家の色が濃い。世代が上の人なら、リアルタイムで聴いたかもしれない、テレビ番組「世界名作劇場」において「フランダースの犬」や「アルプスの少女ハイジ」の主題歌を手がけた。
 
♪口笛はなぜ 遠くまで聞こえるの あの雲はなぜ わたしを待ってるの……
 
 これを書いた人。
 
 プライべートでは詩人の谷川俊太郎と結婚し離婚し、やっぱり詩人の田村隆一と結婚し、やっぱり離婚した。妹は女優だったと言うから、もとから芸術家一家だったらしい。よくわかんないけどすごいな、と思う。
 
 世界名作劇場の製作者にはジブリの二人、高畑勲と宮崎駿も当然のように名を連ねていて、時代のひとつのピークを感じる。いま見ると豪華だ。
 

 よくわかんないけどすごい時代だった昭和を超え、令和を待たずして岸田は亡くなった。2011年没。手元の詩集は2001年のものなので、まだ存命なことになっている。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。