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揺れない未来

揺れを感じてすぐに、スマホを充電しに走った。出口となるドアを開けて、万が一、家屋が歪んでも脱出できるようにする。それからノートパソコンを充電器に繋いだ。ここいらは震災や暴風雨の際にたびたび停電するから、何か食べ物を温めるなら、レンジが動く今のうちだ──。わずかな時間のあいだに、そこまで考えるようになった。

結局何事もなく、少し早めの夕飯を食べた。電気は点いているし、雨の音はするけど風の音はしない。海は近いけど津波は来てない。ひとまずは「日常」が続いている。

人が月まで行ける時代に、どうして地震を制御することはできないんだろう。「月まで行く技術と、地震をどうにかする技術とは別ものだろ」と言われるかもしれない。それはそうだ。そうだけど、技術の発展はどうして宇宙にばかり目を向けるんだろう。ロケットを飛ばすのに傾ける情熱があるくらいなら、地震をなくすことだってできるんじゃないか。

人はなぜか宇宙を目指す。陸地や海底についてはそれほど考えていない。宇宙に行った人の数より、深海に潜った人の数のほうが少ない。「地上の星は今どこにあるのだろう」「人は空ばかり見てる」と歌った中島みゆきは間違ってない。21世紀は、空に憧れるより陸地とどう付き合うか考える時代になったらいい。

西洋哲学を研究していると「人は自然を制圧した。怖いのは人間が産み出した原子力だ」という話によく触れる。西洋哲学の本場はヨーロッパだ。日本より圧倒的に自然災害の少ない国々、そこに住んでいれば「人類は自然を手に入れた」と自然に思えてしまうものなんだろうか。宇宙開発は欧米諸国を中心に進められており、むべなるかなという感じがする。

人が大地に手を加えられない以上、どうにか対処して付き合っていくしかないんだろう。人間にワクチンを打つみたいに、プレートに注射すると動きが治まるようなことがあればいいのに。科学技術は日進月歩だから、それもいつかは可能かもしれない。いつかは。でもいつかはいつかであって今じゃない。

科学は進歩する。でも人間そのものは、変化はするけどさして進歩はしない。昔の人のほうが偉いことなんてたくさんある。震災関連の話題もそうだ。その土地に長く住んでいる人が「そこは駄目だ」という場所には、家を建てないほうがいい。かつて海だったところには近寄らないほうがいい。何かあれば、津波はそこ目がけて押し寄せる。

もし自分がいま子どもなら「子ども電話相談室」とかに聞いてみたいな、と思う。地震をなくすことは可能ですか、そういう技術はできますか、と。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。