助けてもらうための態勢
産後ケア宿泊が終わる。24時間体制で赤ちゃんをあずかってもらえて、食事は3食、部屋まで運んでもらえる。助産師さんたちによる、毎回の母乳指導付き。なかなか贅沢な経験だった。
いまは自治体の補助があるので一日5000~10000円で泊まれるけど、補助が切れると一泊3万円になる。助産師のひとりは「私たちはずっといてもらってもいいんですけどね、一泊3万っていうと……うん、私なら考えちゃうかな」とコメントした。
「贅沢」と書いたけど、もちろんいろいろ制約はあった。基本的に外出はできないし、家族との面会時間も限られている。助産師さんたちは「赤ちゃん泣きましたよ、授乳しますか」と言って勝手に部屋に入ってくるし、掃除のおばさんも勝手に入ってくる。
でもそれがよかった。ホテルみたいに鍵のついた個室と違い、産後ケア施設の部屋に鍵はない。赤ちゃんになにかあったとき、誰かがすぐ駆けつけられるように。だから、たとえ半裸で授乳していようが寝ていようが誰か入ってくるのだけど、それがよかった。
なにも隠す必要がない。めかしこむ必要もない。お母さんたちは髪ボサボサなのが普通だし、パジャマ姿で寝ているのがあたりまえで、誰もそこに驚かない。風通しがいい。食事もおいしい。パジャマや下着は洗濯してもらえる。
自分の家は、外に向かって開かれることをすごく拒む家庭だった。友達を招くときはいつも、仰々しい客間を使うように言われた。生活空間を見られることを、祖母も母もひどく嫌っていた。他人に日常生活を詮索されたくない、その一心。
こういう家庭で育ったから、開かれた家がうらやましかった。なんでわたしは逐一、自分の生活空間を隠さなきゃならないんだろう。
祖母や母の
「あの家にはあんな物が置いてあったの、部屋がどうだったのって言われたくないでしょ」
という危惧はわかる。わかるし、実際、あまり仲の良くない同級生が「メルシーちゃんの部屋を見せて」といきなり遊びに来たこともあった。なにもない客間に通すと、本棚とか勉強机とか見せてくれないの、と、苦言を呈された。
ああなるほど、そのへん偵察に来たわけね。祖母や母の警戒心はこの手の人のせいか。
なんてこともあったけれど、他の多くの友達のように開放的な家でないことは、いつも妙にうしろめたかった。
産後ケアの施設はいい。部屋に入ってくるのは、基本的に自分を助けてくれる人たちだ。「サポート役の人が、いつでも自由に部屋に来てくれる」という環境は、鍵のかかった部屋でプライベートを大事にするより、ずっと心強い。ずっと楽な気持ちになれる。
そういう環境に身を置けたらいいな、と思う。人生全般において。
部屋の鍵は開け放っておくから、なにかあったら信頼できる人が駆け込んできて助けてほしい。もしくは、日常的に入ってきてくれて構わないから、自分がどうにかなっていたらすぐ見つけてほしい。これは比喩でもあり、実際にそうしたいことでもある。
たとえば救急車を呼んだときに「診察券と保険証と、退院時の服まで揃えて、家の玄関先まで出てください」と言われずに済むような。そうじゃなくて、自分がベッドでのたうち回っていたら、救急隊員がベッド横まで来てくれるような。そういう感じ。
きのうは赤ちゃんが泣き止まないので、試しに母に電話してみた。繋がらないことも多いが、このときは出てくれた。
「なにをしても泣き止まないの」
と、やや途方に暮れて泣き声を聞かせると、母は笑って、赤ちゃんと泣き声を交換してみせる。
「ふぎゃー!」『ふぎゃ~~、ハイよしよーし、うふふ』
笑ってくれた分、こちらも気持ちが軽くなる。
ひとりで抱えずに、鍵を開けておくこと。風通しをよくしていくこと。
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。