髪を売る

 この髪を抜いてな、かつらにしようと思うたのじゃ……。
 羅生門に出てくる老婆のセリフだけど、髪の毛が売り物になるというのは、わりとあった話らしい。
 
 小学生のころ読んだ『忍たま乱太郎』でも、そんなシーンがあった。箱に詰められた髪の毛を見て、乱太郎が「うわっ、気持ち悪い!」と言うと、その所有者のキリ丸に怒られる。「気持ち悪くなんかないやい、大事な商品だい」。
 
 売り物にするために集めていた、という話。『忍たま』は、作者が室町時代にたいへん詳しくて、要所要所で解説を入れてくれる。おかげで読んでいると、自然に室町の風俗や忍者について学べる、おもしろくてためになる漫画だった。これは余談。
 
 オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』でも、女性が長い見事な髪の毛を売って、金鎖に替えていた。体の一部を売り物にするという発想は、いまの日本で普通で生きている限りほぼない。ないから忘れがちだけど、髪の毛はある種の財産らしい。
 
 以前、お世話になっている美容師が言っていた。いま40代の彼女が若いとき、専門学校でカットの練習用に配られるマネキンの髪の毛は、中国から来るものが多かったと。
 
「わたしたちの頃は、中国がまだそこまで裕福じゃなくて、髪を売る人もいたんですよ。だからそれで練習できたんですけど。最近の子たちは、東アジアじゃないどこかの人たちの、それも寄せ集めみたいなので練習するらしくて、大変だなって」
 
 あとは人工毛ですかね、どっちにしても練習しにくいと思う……というようなことを、美容師さんは話していた。そうなんだ。
 
 美容院での雑談なので信憑性は低いけど、ありそうな話だと思った。当時、住んでいた女子寮には美容学校に通っている子たちもいて、確かに彼女たちはマネキンの首から上みたいな、カットの練習台をカバンに入れてたっけ。
 
 そうして「職務質問とか受けたらどうしよう。カバンに生首入れてるって思われるかも!」なんて、寮の食堂で笑って話していた。あのとき見たカット用マネキンの、髪の毛はどこから来たんだろう。人工毛だったのかな。
 
 日本社会では、献血にしろ臓器のドナーにしろ「寄付」が前提になっていて「売る」という発想はない。というか、許されていない。でもアンダーグラウンドな世界では臓器に値段がついて売買されるわけで、人の体っていうのは価値あるものなんだよな。
 
 髪の毛ならまだ害は少ない気がするが、それを許すと今度はからだの他の部位にまで話が及びそうだ。だからどんな部分であっても、ひとの体に関わるものは売買を許さないほうがいい。そんな発想なしに社会を生きていけるのは幸福なことだ。
 
 「価値はあるけど値段はつけない(つけないほうがいい、つけるべきではない)」こととというのはあって、そういう曖昧さって大事だよなと思う。価値あるものがすべて換金される社会は、根本的に発想が貧しい。
 
 それにしても髪の毛っていうのは、何がどれくらいの価格で売れるものなんだろう。健康的な長い髪は高値で売れるのかもしれないが、それほどの髪の毛を持つには、健康的な食生活やきちんとした手入れが必要そうだ。
 
 そしてそんなことができる人は、そもそも髪を売る必要のないお金持ちだったりするわけで、だったら寄付に頼るほうが質のいい髪が手に入るのかもしれない。換金できるというそのことが、質を落とす原因になるっていうのはありそうだな……。
 
 『羅生門』の老婆は、かつらを作って売る側だった。死人の髪で生計を立てる日々が、どんなものなのかは知らない。あの作品では罪悪感があるように書かれていたけど、生きてる人間の髪を引っこ抜くよりマシに思える。
 
 久々に羅生門を読んだら、こんな感想しか出てこない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。