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産後のからだ、あるいは女性の活躍

 見る夢が普通になってきた。産後はなぜかしばらく、夢が3D映像みたいに見えたのだ。妙に立体的な映像がまぶたの裏に浮かんで、なんでいきなりそうなるのかわからなかった。

 出産で夢の見え方が変わるなんて、そんな話聞いたことないな……。ずっとそのままなのか、産後すぐだけの話なのか。よくわからないまま過ごしてみたら、答えは後者だった。

 近頃は前と同じように、映画のような映像で夢を見る。なんだろう、わかっていたけど、心身ともに「出産」っていう事態は大きなことなんだな。
 
 知人に「女の子の母親になりました」と連絡すると、「展開が早いね」と言われる。「去年のなかばに『結婚しました』って言われたばかりなのに」。そうして、やっぱり娘のいるその人はこう続けた。
 
「たいへんだとは思うけど、いましかない貴重な時期だから」
 
 大切に過ごして、と言ってくれる。1ヶ月ほど前には新生児用のオムツを穿いていた赤ちゃんは、そろそろ「赤ちゃん用Sサイズ」に移行しつつある。
 
 生まれてすぐ赤ちゃんを抱かせてもらったときは、とにかく小さかった。出産直後で血まみれで、頑張ればいまからでも、お腹の中に戻れそうだった。その後すっかりきれいにされて、ベビーラックに乗せられてきた赤ちゃんは、既にさっきと違う表情をしていた。
 
 いまベビーベッドで寝ている人は、どう見てもお腹に戻れる大きさではない。少しのあいだに大きくなってしまう。体重の増加は順調で、一日に100g増えているときもあった。脚の力が強く、掛け布団はだいたい蹴り飛ばして寝ている。
 
 ほんとうに「いましかない時期」なんだなあと思う。出産直後は気づかなかったけど、あれだけ小さい時期はもう来ないのだ。あの大きさの段階は、わずか一瞬で過ぎた。
 
 光陰矢の如し、って、こういうときに使うのかな……。
 
 今日は父親が、初めて孫の顔を見に来た。赤子を抱いて玄関で出迎えると、開口一番「かわいいねえ~」と頬を緩ませる。むかしは年齢不詳で鳴らした父も、すっかり年相応の外見になった。髪だけはまだフサフサだけど。
 
 父が買ってきてくれたお弁当を食べ、しばらく子どもを任せて休む。父はそのあいだ、赤ちゃんに向かって
 
「孫娘ちゃんは将来、何になるのかな……おじいちゃんは、理系の科学者になってほしいな……」 
 
と、娘に果たせられなかった願いを託していた。人文系に行ってしまうような娘ですいません。そう、父は、ほんとうは私を理系のエンジニアにしたかったのだ。そのほうが喰いっぱぐれがないという理由で。
 
「いまは専業主婦って時代でもない、女の人でも働きに出なきゃいけない時代だからね、一生懸命働くんだよ」
 
 言われた赤ちゃんのほうは、どこを見るでもなく横を向きながら、手足を動かす。
 
 旦那さんも似たようなことを言っていた。赤ちゃんに向かって「ジェンダーフリーの時代なんやから、女といえども天下を取って欲しい」「ちゃんと勉強して大学に行くんやで。私立は学費高いから国公立」。
 
 生まれたときからいろいろ言われてんな、赤ちゃん。自分はといえば「愛される人でいてほしい」としか思ってない。妊娠しているときからずっと。思えば母も似たようなものだった。
 
「すごい人にも偉い人にもならなくていい、幸せな人になってちょうだい」
 
 よくそう言われた。自分の家庭に限って言えば、女性活躍を望んでいるのは男性なのだった。父は、自分が哲学科に進学したあとしばらく「資本主義を超える思想を創始してくれ」と、娘に大いなる期待を寄せていた。いまのところ応えられてない。
 
 父は「おじいちゃんは昔、土木の設計をしていたんだ」と昔語りをしながら、孫娘を抱っこしている。赤ちゃんが何を思っているかは知らない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。