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10億円のつかい道

 むかし祖母に聞いたことがある。
「1億円あったらどうする?」
 祖母は答えた。
「1億じゃなんにもできん」
「じゃあ10億あったらどうする?」
「そうだなあ、子ども用の遊園地がつくりたいなあ」
 祖母がそんな夢(?)を持っていることは、そのとき初めて知った。
 
 いま自分は建築会社で働いている。扱った物件には大規模なテーマパークもあった。建てるだけでも、10億では利かない。規模が大きいのもあって数百億円が計上されている。これに維持費がかかるわけだから、うん、10億だとちょっと限界があるかな。
 
 テーマパークは独特な物件だ。たとえば「建物をわざと古く見せるため、上手に傷をつける」みたいな技能を持つ人が必要になる。こういうのをディストレスと言うらしい。世の中にはいろんな仕事があるんだなと思う。
 
 関わる職人の数が多く、運び込む資材も多岐に渡り、当然重機もフル回転……となれば、それだけのお金がかかる。書類に書かれたケタ数の多い数字を見ながら、お金ってあるところには本当にあるんだなと実感した。
 
 個人で稼ぐなら10億は多い。でも世間の人々を動かそうと思ったら、もう1桁多く投資する必要がある。そういうことなのかもしれない。もちろんすべての物件でそんなに派手な額が動くわけではなく、これはあくまで大規模工事の話。
 
 祖母に質問したときはなんとも思っていなかったけど、10億かあ。自分なら何がしたいだろう。
 
 むかしから漠然と、子どもを支援したい気持ちがある。だからカードで貯めたポイントを使って子ども向けの活動に細々と寄付したりしている。あとは災害支援とか。10億円持っていたら、もう少し羽振りがよくなるだろう。
 
 もっとも、自分のお金の使い方は祖母と違う。自分はどちらかといえば「いまある問題を解決したい」「苦しみを減らしたい」方向に物事を考える。祖母みたいに「遊園地をつくって子どもに遊んでもらおう」って方向に行かない。
 
 どちらが良いも悪いもない。これは人間性というより、育った時代の違いかもしれない。
 
 祖母は昭和1桁生まれで、女学校に入ったころ既に戦争が身近にあった。きちんと勉強もできないまま卒業し、祖母は小学校の先生になった。理由は顔がかわいくなかったからだ。かわいくなかったから。
 
 体が弱く、子どもが望めるかもわからず、美しくもない。自分に結婚の望みは薄いと踏んだ祖母は勉学に励み就職した。結局は結婚して子どもが2人生まれ、孫の顔も見ることになったが、それは後日談に過ぎない。労働環境はろくでもなかったが、昭和のほとんどの期間、日本のすべてが右肩上がりだった。
 
 そういう空気の中で育つっていうのは、どんな気分だったのだろう。平成生まれの自分とはきっと何もかもが大きく違うんだろう。10億円の使い道から、そんなことを考える。
 
 別に時代の違いでもタイプの違いでもいい。自分は「苦しみがなくて済むならそのほうがいい」人間なのだ。世の中に新しい楽しみをブチ上げるより、余計な悩みや痛みがなくなるほうがずっといい。
 
 災害時に避難したら、パーテーションのあるところで生活できるほうがいい。それがないよりもずっと。建物は強いほうがいい。震災に耐えて生き残った建物は、すべて被災した人が楽しみにするコンサートの会場になる。子どもがきちんと食べられる社会がいい。食事できる時間は給食のときだけ、なんてそんなんじゃなくて。
 
 かつて結婚相談所でバイトしていたのもあって「結婚したいけどできない」人が少しでも減ってほしい。既婚者は、独身時代より幸福になるか不幸になるかの二択だけど、もちろん前者になってほしい。
 
 そういうとき10億ってどう使うべきなんだろう。持ってもいないのに考えてる。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。