正しく生きたい下半期

引っ越しでパソコンをしまってしまって、今日はスマホから長いつぶやき。

正しい笑い方がわからない。笑うのに正解も不正解もないけれど、鏡に映ったときの歪んだ表情はいつもなにか違う。正解はないにしても、もうちょっとマシであることはできるだろと思う。

ふとしたときの言動がうっすら気持ち悪いという自覚がある。うまく受け答えできなかったときの、くぐもった暗い声と半笑いの顔とか。キモ。これは不正解であって、不正解がある以上はその反対があるはずだ。

いつもどこかに「正解」がある気がする。それを探してる。正しいテーブルマナー、正しい料理の仕方、正しい服の畳み方。そして正しい生き方。

引っ越す前から部屋は片付いてなかった。少しはきれいに見えるとすれば、それは物が少ないからであって管理がうまいからじゃない。

ひとり暮らしをする前、女子寮にいたとき、きれいな部屋に住むきれいな子は宣伝用のパンフレットに載るのが恒例だった。「この学生会館にしてよかった。わたしのお部屋大公開!」みたいなやつ。長く住んだけど自分は当たり前に一度も載らなかった。

どうすればいいんだろう。毎日の食事をどう管理し、下着はどうやってどこにしまうのが正解なんだろう。パンフレットの中の彼女たちは、正解を知ってるように見える。

きれいな子たちと自分となにが違うのか、何もかも違う。だから参考にならない。せめてもう少しマシであろうと日々あがいている。

今年下半期の目標は、と言ってもいつもそうだけど「マシになる」こと。笑い方も生き方も。なにもかも。

もっとうまく笑う、もっとうまく暮らす。キモくないようにする。部屋をきれいに維持するのは最初から諦めているのでせめて物は減らす。

努力はするけど、その努力の方向性が合っているかすらわからないってとこに悲劇がある。私がすべきは捨てることじゃなくて、管理の方法を身につけることかもしれない。それすらわからない。

ちゃんと生きていける人に、いつでも憧れてるつもりだけどな。中学生のときの自分みたいに、笑っただけで「笑い方ヤバ」と嗤われないような人。なれなかったんだから仕方ないね。

小物の整理がどうしても上手にできなくて、部屋にはまだいろんなものが溜まっている。もうちゃんとできなくたっていいから間に合いさえすればいいよ。っていつも言いながら生きてるからこうなる。

そういえば明日はもう七夕なんですね。あなたの願い事はなんですか。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。