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紅いお茶の話

ティーパックの持ち手の部分に、鹿と木々の絵が描かれている。中身のアッサムと何か関係があるのかなと考えた。紅茶と言えば本場は英国、英国と言えば貴族、そして彼らは狩猟を趣味にするイメージがある。これは貴族の鹿狩りの絵なのかもしれない。

早合点もよくないので生産している会社に問い合わせたところ、すぐ返事をくださった。「そんなとこまで見てくれてありがとう。インドのアッサム地方、野性味あふれる大地のイラストだよ(意訳)」とのこと。かの地でも鹿は生息しているらしく、インドの生物事情に少しだけ詳しくなった。

アッサム、紅茶の中ではかなりメジャーな種である。癖のない味わいでミルクにもよく合う。しつこい性格なのでその地方の自然についても調べていたところ、こんな記述を見る。

自然豊かなアッサムはめずらしい生物も生息しており、絶滅危惧種に指定されているインドサイの数少ない生息地の一つでもあります。インドのティーボードは、この一角犀をアッサムティーの地理的表示のロゴマークに採用しています。草食性大型動物のイメージは、力強くも包容力のあるアッサムティーの香りや味にぴったりではないでしょうか。

草食性大型動物のイメージ。なるほど。「力強くも包容力のある」っていい表現だ。褒め言葉に使えそうだなと思ったけど「あなたってアッサムみたいな人ね!」と言ってもきっと何も伝わらないなあ。そんな益体もないことを考える。

他に有名なのがダージリンだけれど、こういったブランドを守るのは難しい。ダージリン地方で作られたわけでもないのに、名前だけ真似た茶葉が出回るのは珍しくない。そして消費者にも「これはダージリン地方のお茶」「これは別」と判別するだけの器量はない。上の引用に出てくる「地理的表示」とは「確かにこの地方のお茶ですよ」と証明するための公式マークである。

アッサムがインドサイなら、ダージリンは横顔の女性を描く。ヌワラエリヤはインドでなくスリランカの一地方だが、こちらは山と川のイラストで恵まれた自然を表現する。紅茶種にもブランドのロゴマークに匹敵するものがあるのは、どの分野もまがいものと闘っていることの現れで、優雅なお茶の世界は綺麗ごとばかりじゃない。

血塗られた歴史、と言うのは大げさだけれど、世界史で「ボストン茶会事件」なる単語があった。紅茶の巻き起こした騒動、宗主国イギリスと植民地アメリカの間で起きた軋轢の話だ。当時、紅茶は嗜好品であったが高い関税がかけられており、激昂したアメリカの人々が茶葉の箱を海に投げ入れた。それ以来、アメリカのカフェインの主役はコーヒー。この用語を英語で聞くと「ボストン・ティーパーティー」と、まるで優雅なお茶会のようだ。

紅茶を作るのが人であり、飲むのも人である以上、世界の政治と無関係ではない。何年か前にインドで民族紛争が起きた時も「……そういうわけで、今年のダージリンは輸入できるかどうかわからないんですよ、茶園が無事かも確認できない」とか、台湾が台風に見舞われた時は「気候がいつもと違ったので、クオリティが例年と比べていいかは保証できない。いやそもそも手に入るかどうか」みたいな話を聞いた。日頃、飲んでいるものがそんなにダイレクトに世界と繋がっているなんて……と軽く衝撃だった記憶がある。

紅茶の産地は海外ばかりではなく、もちろん国産紅茶も存在する。ワインの国産と同じく、最近(ここ十年くらい?)で存在感を増していて、アッサムばかり飲んでいる場合じゃないなあと思う。「和紅茶」の表記を見ることも珍しくないし、海外品から国産への交代が緩やかに進んでいるらしい。ロゴマークができたら見てみたい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。