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虫めづる韓国

 『くだらないものがわたしたちを救ってくれる』を読む。帯には「ああ、今日も推し(線虫)が尊い。」と書かれている。線虫を研究する科学者の本だ。糸のように長い虫なのでそう呼ばれるらしい。
 
 著者は韓国人で、読んでいると「日本との距離感そんな感じなんだ」とか「そこはかなく韓国を感じる」と思う箇所がところどころに出てくる。たとえば第1章の最初の節「何の因果で科学者に」では、少年ジャンプが自然に登場している。

わたしが科学の道を選んだ最初のきっかけを知るには、まず『パンパン』について語る必要がある。『パンパン』とは、小学生だったわたしのすべてであり、唯一の楽しみであり、毎月心待ちにしていた月刊マンガ雑誌のタイトルだ。『パンパン』の名前を聞いただけでも、心がウキウキしてくるのだ。
(中略)
中学生になると、小学生が読むようなマンガは読まなくなった。「もう子どもじゃないんだから、小学生向けのマンガなんか読めない」と思ったのだ。これはプライドの問題だった。そしてわたしは『パンパン』から『少年ジャンプ』へとジャンプした。

キム・ジュン『くだらないものがわたしたちを救ってくれる』米津篤八訳、柏書房、2022年、17頁。

 そういうものなんでしょうか、男児のみなさま。わたしはマンガ雑誌で自分の年齢をはかったことがないのでピンとこない。なんだろう、コロコロコミックから少年ジャンプ読むようになる、あの感じなんだろうか。
 
 科学者は続けてマンガの話をする。

 当時は、日本のマンガ週刊誌『少年ジャンプ』の連載マンガが大人気だった。「ONE PIECE(ワンピース)」、「NARUTO(ナルト)」、「BLEACH(ブリーチ)」など、熱くて騒々しい男子が主人公となって、殴り合いのけんかをするようなマンガだった。長い苦しみに耐え抜き、どん底からはい上がって敵をやっつける姿がたまらなかった。交通費をマンガに使い果たし、学校から家まで毎日歩くはめになったが、それも運動になって一石二鳥だった。弱くては世界を救えないのだ!

 母は信じないだろうが、実はわたしを科学者に育てた8割はマンガのおかげだった。

同上、18頁。

 弱くては世界を救えない……そっかあ。なんていうか、この文章の疾走感にまず隣の国を感じる。まっすぐで衒いがなく、言いたいことを言う。この感覚がどこまで伝わるかわからないが、素朴に一直線を走っていく人を見たときのあの感じ。
 
 「テスト期間中はマンガ禁止」と母親に言い渡された著者は、どうにか勉強しているように見せつつ面白いものを読むために、科学の本を読むことを思いつく。そのときの文章は、やはりどことなく韓国っぽい。
 
 わたしが勉強しなさいという小言から逃れるには、つねにご飯を食べるか科学の本を読むかしかなかった。一日に5食食べ、暇を見ては間食し、それでも時間が余ると母の顔をうかがいながら科学の本を読んだ。
 
 楽しそう。そう、このまっすぐなスピード感に韓国の風が吹いている。「どこがまっすぐなんだ、勉強しとらんやないか」との声もあろうが、成長期の男性科学者の描写としてめちゃめちゃ「正しい」感じがする。
 
 作者のキム・ジュンは前述の通り、線虫の一種を研究している。これは日本名が「C.エレガンス」なのに対し、韓国では「かわいいチビッ子線虫」と呼ばれる。だいぶ違うな。
 
 隣の国とは複雑な歴史があり、具体的には、かつての日本による植民地化が大きな影を落としている。日本人の中には「かつて韓国は日本の一部だった」とさらりと言う人もいる。
 話の内容はわかるけれど、いつも頭でしか理解できない。隣とはいえ、自分にとっては純然たる外国だ。親しみがないということじゃなく、どんなに似た部分があろうが、過去も今も変わらない純粋な外国に見える。
 
 最近、韓国の書き手の本をよく読む。そして読むたびに「異文化だ」と思う。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。