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【節電の夏に】電気があったらしたいこと。

 節電の夏だから、コンビニや薬局の棚が電気を落として営業している。場所によってはハンドドライヤーが「節電のため使用を中止しています」と書かれてたり。
 
 「電気を使わなくて済むんならそのほうがいいんじゃないの。節約にもなるし」なんて声もあろうが、あまり賛成できない。電気がギリギリっていうのはいい状態じゃないし、逆に有り余っていたらできることがたくさんある。
 例えば東北の冬を生きやすくすることだって、不可能じゃないかもしれない。
 
 北国に住んでいたとき、冬場の雪は厄介だった。とにかく雪かきをしないと始まらない。玄関から道に出るにもポストまで行くのにも、雪をよせないとならなかった。積もれば積もるほど重くなるから、日に何度も雪かきをする。
 
 積もった雪を放置すると、氷と化してさらに面倒なことになる。凍った道路は、人が転び車がスリップする危険な場所だ。
 
 もし電気が有り余っていたら、雪国のすべての道路に熱を通したい。熱で雪を溶かして、雪かきの労力と積雪によるトラブルをなくしたい。いまでも場所によってはやっているけれど、町や県全体ってわけにはいかない。
 
 実際やるとしたら大規模工事になるし、工事の費用も電気代も馬鹿にならない。というのはわかっていて、でも「できたらいいのに」と思う。そうすれば、雪かきに体力を奪われているお年寄りは少し楽になって、子どもたちの通学路もちょっと安全になる。
 
 雪かきのために朝早く起きる必要もなくなるし、車だってすぐに車庫から出せる。北国の人の朝がちょっと楽になって、道路は走りやすくなり、事故も減るだろう。雪をよせて歩く暴力的な機械に、子どもが巻き込まれて死ぬこともない。
 
 「節電」と言い始めると、発想がどんどん「どこを削るか」に向いてしまう。実際の生活レベルが下がること以上に、発想が貧しくなっていくのが嫌だ。電力を自由に使える状態なら生まれたアイデアも「節電しろ」の前にしぼんでしまう。
 
 こういうときだから、大きく夢を見るのは間違ってないと思う。電気でできることはきっとまだまだたくさんやるし、「電力が安定して安価で供給されるならこれをやりたいんだ」って人も多いかもしれない。電気を用いた芸術作品とか、医療器具とか、なんでも。
 
 その話は大半が夢物語で実現しようにない馬鹿みたいな話でも、ひょっとしたら一部は実現するかもしれない。そう信じるのは悪くない。
 
 去年亡くなった祖母は、死ぬ前の冬にも雪かきをしていた。玄関に置かれたプラスチック製の大きなショベルで、日に何回も。帰省している私がやることもあったけれど、気づくと祖母がしていた。
 
 既に90を超えていたから、雪かきが楽だったはずがない。重い雪は持てないから、わずかに積もった雪をよせ、また少し降り積もるとショベルを持ち出し、雪をかいては家に入っていた。
 
 北国の暮らしなんてそんなものだ、とは言いたくない。どこに住んでいようが減らせる労力は減らせたらいい。あの地方に人が少ないのも、大きな理由のひとつは冬の厳しさ、ひいては雪と暮らす苦労があるせいだ。
 
 自分も寒いのはどうにか耐えられても、正直まいにち雪をよせる生活はしたくない。地元に住むとしたら、雪かきしてくれる管理人のいるアパートかマンションがいい……なんて思う。たとえ雪が降っても、せめて積もらなければ……。
 どうにかならんもんかな、と小さい頃からずっと考えている。いまのところ熱で溶かすしか思いつかない。
 
 世間では節電が呼びかけられていて「使わない電気はこまめに消そう、環境に優しい生活を」と言われる。異論はないが、生活している人々はもっと大事で、人のための電気はいくらでも使えるようであってほしい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。