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可愛くいない自由

脱コルセット運動を誤解していたな、と思う。フェミニズム運動の一環で、女性らしい装飾の押し付けを嫌うものと理解していた。でもそれをしている人たちの気持ちというか、葛藤まではよく知らなくて、ただ「長い髪を拒否してベリーショートにするの、普通に似合っててカッコいい人いるよね」くらいの気持ちだった。

脱コルセットについて描かれた漫画を読んでいる。韓国語からの翻訳だ。登場人物の女性たちは、女らしい外見や美しさということ、装飾を巡って様々な思いを抱えている。そのすべてに賛成できるわけではないし、世の中にはもっといろんな立場の女性がいるのは承知の上で、考えさせられる場面はあった。

https://twicomi.com/author/datsukolsaikou/sort/good/page/1

自分も実際に言われたことがある。「女の子って、化粧するのが楽しいんでしょ?(なのにどうしてしないの?)」。そのときは「楽しくない(人もいる)よ」と答えた。単純に化粧品にはお金がかかるのと、しなくても怒られない環境にいればしなくても済むこと。あらゆるスキルと同じように、メイク技術も生きているだけで身に着くものではないから、学ぶ機会がないままずっと生きていく人もいる。それで不自由しない。

化粧を必須と思っている人でさえ、いつもいつも楽しくてしているわけじゃないだろう。漫画で描かれたように、それで得られる待遇を失うのが怖い、という恐怖を持つ人もいる。純粋に楽しんでいる女性たちももちろんいるけれど、全員じゃない。少なくとも「女の人ってみんなそれが楽しいんでしょ?」と言う人が考えているほど多くない。そのあたりの認識が、けっこう食い違ってるなと思った。

できたら自然にメイクを楽しめる人間になりたかったし、そうしたら私も「普通の」女の子、女の人の仲間入りができたかもしれない。でもできなかった。イベントごとにプロがしてくれるメイクはどれも好きになれなくて、下手したら素顔より安っぽく見えた。化粧を好きになれない自分がおかしいのかな……と感じてモヤモヤしていたから「普通、女の子はそれが好きでしょ?」の言葉は当時、嫌な形で刺さった。

どうせなら見た目はいいほうがいい、という雑な見解はわかる。だけどそう言う人ですら、漫画で描かれたように吐いたりフラついたりしてまで、女性にダイエットしてほしいわけじゃないだろう。「ハイヒールってやっぱり見栄えがいいよな」と思っている人も、爪先から血を流して立つのが痛くても我慢しろ……とは考えてないんじゃないか。そして「普通の女性は化粧するのが楽しいんでしょ?」と言った人も、別に「メイクを楽しめない女性は社会不適合の異常者」と言いたかったわけではないと思う。

どれも本人に確認したわけじゃないからなんとも言えないけど。ひょっとしたらあれは、正面切っての悪口だったかもしれないけど。

美を称賛するのは罪じゃない。でもそれは簡単に「醜さに価値はない、醜いなら変われ、醜いのは努力の不足だ」にスライドする。それが怖い。美に憧れて努力するのと、醜さに怯えて走らされるのとではワケが違う。後者の苦しみをなくしていく努力は、すごく大事だと思う。美しくなくても可愛くなくても、価値があるということ。当然のように。

脱コルセット運動を知った当初は、そういうメッセージまで汲み取ることができなかった。なんとなく、ただ女性らしい格好に反抗しているパンキッシュな人々かと思っていた。そうじゃなくて、美しくないことに対する過剰な恐怖と、それを作り出している不健全な風潮から抜け出そう、「脱コルセット」ってそういう意味だったんだなと。


ちなみに以前、脱コル運動について書いた記事はこちら。以前はこんな風に思っていました。主題は「装う自由」


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。