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いろいろムッシュー

 フランス語で一番好きなフレーズ「パルドン、ムッシュー」。男性を呼び止めるときに使うフレーズで、日本語にはない感触がある。「パルドン」は「すみません」。

 「ムッシュー」はもちろん「マダム」と対を成す、男性への呼びかけだけれど、和訳ができない。「おじさん」とは語感が違う。ムッシューはもう少し相手を尊重している響きがある。

 「おじさま」だとわざとらしい。「おっさん」「おっちゃん」いずれも違う。こういう単純な言葉が、一番訳しづらい。

 

 いつだったか、宿泊先で活字に飢えて読んだ新聞のコラムに「おじさん図鑑」なるものがあった。中身はきれいさっぱり忘れたが、タイトルだけは覚えている。おじさん図鑑。うん、なんかわかる。

 

 おじさんはバラエティに富んでいる。建築業界で働き出してからすごく感じる。高い男性比率を叩き出すこの界隈では、オフィスでも現場でも男性が多い。若い人もいるとはいえ、基本的に多種多様なおじさんに囲まれる。

 

 まるっと太って愛らしい、子熊のようなフォルムのおじさん。すらりとしたスタイルを誇り、ベストとスーツを嫌味なく着こなすおじさん。なぜかとても動きが素早い人もいれば、女性言葉をあやつる独特な口調でおおらかさを発揮している人も。

 

 「太っている」ひとつ取っても一枚岩ではない。それぞれに個性がある。ブヨンと太いおじさんもいれば、まるっこい体形が似合うおじさんもいる。後者を見ていると、なぜか横からミッと押したくなってしまう。

 あれは長い年月を経て完成されたフォルムであり、若い人間には真似できない。まるっこいおじさんは、かわいい。所在なさげにダンボール箱を持ってるだけでいとをかし。

 

 これに対して「エレガントなおじさん」はちょっと離れたところからそっと見ていたくなる。椅子にもたれて脚を組んでいるだけでサマになるのは、天賦の才か何かだろう。エレガントな人間が優雅である努力を忘れないときにだけこうなれる。

 こういうおじさんは、意外と人懐っこくて寂しがり屋だったりするので愛らしい。

 

 現場に出入りしている人々は「おっちゃん」と呼ぶのが適切だ。体は頑丈で動きが素早く、ガンダムを愛し、堅苦しい礼儀を嫌う。かったるい話はいいから座れ、本題に入るぞ。

 おっちゃんたちのスピード感で物事が動くので、現場界隈は意志決定が速い。短期間で決まり事が二転三転しようとも、みんなブーブー言いながらちゃんと適応する。強い。

 

 社内で人間関係を調整しているおじさんは、おおらかで女性っぽいところがあるか、苦労人かの二択である。現場のおっちゃんたちとは微妙な関係にあるが、仲は悪くない。あたしたち、あんなふうに豪快なだけじゃやっていけないのよね、と思っていそう。

 女性っぽい、と書いたけれど、女性らしさのいいところだけ上手に抽出した、歌舞伎の女形のような人たちだ。話口調が「~なのよ」「~なのね」なのは、このほうが他人との衝突が避けられると知っているからなんじゃないか。

 実際、女性口調で話したら喧嘩が減った……という男性の話も聞く。この手のおじさんは、中性的であることを強みに生きるのだ。

 苦労人のおじさんは、なぜかエレガントさんから好かれている。あまり両思いに見えないのがおもしろいけれど、男の世界はよくわからない。ああ見えて実は仲良しなのかもしれない。

 

 自分が普段、接する人々は現場に近しい人々で、意外とこういう人たちのほうが規範意識がしっかりしている。オフィスだけで働いている人々のほうが、セクハラなどを起こしやすい。狭い場所で座ってばかりいると、人間が陰湿になるのだろうか。

 たまに「おじさん」を「頭の固い旧世代の男尊女卑主義者」くらいの意味合いで使っている人がいるけど、意外と多様だよと言いたい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。