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「子どもがほしいかわかりません」

 妊娠がわかったときのことは、よく覚えている。職場近くの薬局で妊娠検査薬を買った。検査薬がないか聞くわたしに、焦ったように対応してくれた店員さんの姿を見て、ああなんかやっぱデリケートなことなのかな、と思った記憶がある。
 
 昼休みのトイレで使ってみると、買った細長い検査薬の中に、水色の線が浮かび上がった。陽性、だ。100%ではないけれど、いまどきの妊娠検査薬はとても精度が高い。ほぼ確定だろう。嬉しいという気はしなかった。
 
 これからどうなるんだろう、と思った。近くにはレディースクリニックもある。いまならまだ「なかったこと」にできる。旦那さんには黙っていればいい。そんな思いが一瞬よぎる。実際には、そのまま個室を出て手を洗い、いつものように仕事に戻った。
 
 妊娠するようなことをしておいて、その覚悟がなかったのか?と言われたら、うっすらあった。子どもが「ほしい」と言うより、「持つことになるんだろうな」の感覚。ただこれほど早いと思ってなかった。結婚して1ヶ月も経たないうちに妊娠していたから。
 
 「子どもがほしいかわからない」という人の気持ちは想像できる。自分もそうだったけど、ただ授かったから産んだ。そんなもんでいいと思う。授かれば産むし、産めば育てる。そんなもんだと思う。
 
 子育てに向いているという自信もなかったし、新生児のお世話は大変だと思っていたから、出産前からいろいろ考えた。子どもはベビーラックの上で寝かせっぱなしでもよしとしよう、とか。大変そうならすぐベビーシッターを頼もう、とか。
 
 母乳がそんなに出ないようなら、ぜんぶ人工ミルクにしたっていい。虐待しそうになったら相談窓口はここで……と、とりあえず逃げ道をたくさん考えた。実家の母親は頼れそうになかったし、義理の実家は、旦那さんが頼りたくないと言う。
 
 出産は、痛みを避けたいという単純な理由で無痛分娩にした。お産はスムーズで、陣痛促進剤を使うこともなく、出血も少なく、完全な安産で子どもが生まれた。会陰切開はしたけれど、産後4週間ほどで順調に痛みは消えていった。
 
 もう少しで2ヶ月になるけど、育児はなんとなくできている。なんとなくどうにかなる。特にシッターさんを呼ぶほど困ってはいないし、こまめに睡眠を取るようにすれば、体調もおかしくならない。産後は1週間ほど、産後ケア施設で休むこともできた。
 
 ずっとうっすら子どものことが気になるので、特に理由なく抱っこしたりする。泣きがひどいときは離れる。なんとなくどうにかなる。一緒にいるうちに、ぎゃーぎゃー泣くのはたいてい授乳の量が足りないときだとわかって、母乳をあげる時間を長くしたりする。
 
 赤ちゃんはおもしろい。表情がくるくる変わる。抱っこしていると、肌の触れている面があったかくて癒される。「子どもが欲しいか」と言われてもいまだによくわからないけど「出産、もう1回やってもいいかな」くらいの気持ちにはなっている。
 
 出産前に、いかに育児をしないで済むか考えていた自分でもこれくらいにはなる。逆に、一生懸命育てようと思っていたものの、パンクする人もいる。ひょっとしたら、子どもに対する期待値が低い人のほうが、子育てを続けるのに向いているのかもしれない。
 
 別にかわいいと思えなくたっていい。お世話をしているうちに「なんとなくいいもんだな」と感じられたらそれでいい。感じられなかったとしても、ちゃんと子どもが生きているならそれでいい。最後のは、父親がそう言っていた。
 
 ちゃんと生きているならそれでいい。そう、それがすべて。
 
 子どもを持ちたいか、なんて今でもわからないけど、これはこれで悪くない。そう思えるなら十分で、それ以上求めてない。

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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。