見出し画像

旅するエッセイを借りてきて

 海外に行くようなご時世ではないから……というのは嘘で、単に出不精なので海外に行かない。行かないけれどエッセイを読むのは好きなので、今日いくつか借りてきた。
 
 『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』『覗き穴からちょっとカイロ』『ワカメちゃんのパリのふつうの生活』。海外旅行をしてもできる経験は1人分、その点読書はいろんな人の体験を一気に追えるから楽しい。
 
 遠い大陸であるせいか、アフリカの話が一番カルチャーギャップが大きい。日本人女性である著者が「白人」と呼ばれているのが新鮮だった。現地の人々は「自分たちと違う肌の色=白人」と認識しているらしい。
 
 ガーナに行ったある女性の話を思い出す。それはリアルでお会いした人で、小柄だがガッツのある女性だった。向こうでは「俺の肌色はチョコレートブラウンだけど、お前はブラックだ」と、肌の色がより濃い人に喧嘩をふっかける男性を見たとか。
 
 『ヨシダ、裸でアフリカを行く』の中には、現地ガイドのこんな台詞が出てくる。

「同じ国の人間でも、肌の色の明るさで階級がある。その階級が差別を生み、より肌の黒い人が生きにくくなっている。(…)自然と肌の色が明るいほうが良しとされる傾向がるのは、なぜだろうか。人は生まれるときに、外見や肌の色・明るさまでは選べない。持って生まれてきたものなのに、なぜそれだけで差別を受けて苦しまなきゃいけないのだろうか」(p.46)

 アフリカン同士で肌の色の濃淡を争うのは、珍しいことではないらしい。あの女性は「悲しいことですけど」と言っていた。
 
 
 『ワカメちゃんのパリのふつうの生活』は、長谷川町子の姪が書いている。パリに憧れる人たちがうっすらいけ好かないのは慣れているけど、この本にもちょっとそんなことを思った。だって「子育て」について書かれているのが、これだ。

 日本にいた頃、夜遅くすれ違う塾帰りの子供たちや、オムツをつけて「幼稚園の予備校」に行かされる友達の子供を見て、子供を育てるんだったらフランスで、と漠然と思っていた。(p.72)

 東京生まれ東京育ちかな?オムツつけて予備校に行くのが普通の世界線、日本の標準ラインでは全然ないと思いますよ?だったら地方の田舎で子育てすればよかったのに、パリまで行っちゃうんですね~~~~と、心の中の嫌味が止まらない。
 
 自分は田舎で公立の小中学校に通った人間なので、都会の常識を「これが日本」という体で書かれると白けてしまう。東京にしか暮らしたことのない人は、それが日本だと思わないほうがいい。あの首都は一個の王国であり、国の平均でも標準でも普通でもない。
 
 老婆心ながら、都会生まれ都会育ちの人たちの日本観の狭さは心配している。「フランスの幼稚園はこんなに自由なんです!」って言われても、私の幼稚園(in地方)もそんなもんでしたよ、なにせモンテッソーリ教育(※)のとこだったので……となる。
 
 田舎の人が都会に出るのはよくある話だけど、逆を意識的にやってみたほうがいいと思う。できたら大学で一年くらい、別の地方に「留学」する制度とかあればいい。海外に行くよりちょっとハードルが低くて、単位もそこで取れる感じの。だめかな。
 
 
 『覗き穴からちょっとカイロ』はこれから読む。1990年代の本なので、たぶん本屋さんにはもう売ってない。こういう本ともふっと出逢えるから図書館はいい。それは本屋が悪いというわけではなくて、どちらも自分の生活に欠かせないものだ。
 
 たまに「出版後半年は図書館に置かないでください」と書かれた新刊を見るから、住み分けできてないと感じる著者が多いんだろう。図書館は本屋の仕事を奪うのでなく、昔の本との出逢いを大事にするなど役割分担を明確にしていってほしい。

※モンテッソーリ教育……子供の自主性を尊重するスタイルで知られる。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。