庭とお茶。

 日本庭園を見つつお茶をいただく。と言っても、表千家とか裏千家とかいう流儀あるお茶ではない。縁側に足を投げ出しながら飲んでいい。着物姿の女性が、抹茶と菓子を運んでくれた。菓子の名は「小夜時雨(さよしぐれ)」と言う。
 

 茶と聞いて少し辟易した。世間に茶人ほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張りをして、極めて自尊的に、極めてせせこましく、必要のないのに鞠躬如(きっきゅうじょ)として、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。あんな煩瑣な規則のうちに雅味があるなら、麻布の聯隊のなかは雅味で鼻がつかえるだろう。

(中略)

「御茶って、あの流儀のある茶ですかな」
「いいえ、流儀も何もありゃしません。お嫌なら飲まなくってもいい御茶です」

夏目漱石『草枕』新潮社、平成17年、53~54頁。一部、漢字をひらがなに変えています。


 夏目漱石はこういうときに読みたい。こんな日本家屋に来るんだったら、かばんに忍ばせておけばよかった、『草枕』。ボーっと読書をしていても、咎められるような雰囲気じゃない。今日は住んでいる街を離れてここに来ている。
 
 
 昨日が結婚式だった。自分の、だ。
 
 両親の意見は「いい加減、結婚して新生活を始めているのにいまさら式なんて」と「いまの時代いろいろあるだろう。けじめとして挙げるべきだ」で対立した。前者が母、後者が父。もともと「家族だけでコンパクトに挙げよう」と決めていた式で、わたしのほうの参列者は父だけになった。
 
 神前式。総額40万円ちょっと。結婚式の平均費用というのは300万を超えるらしいから、ずいぶん安く済ませたことになる。そうは言っても、近頃はそもそも式を挙げない人も増えているから、この平均は「やる人たちはそれくらいかける」ということでしかないだろう。
 
 ヘアメイクの担当者は「近頃は『家族だけで』って方、多いですよ。あとは海外から神社に挙式に来られたり」と言っていた。海外在住の日本人が、帰国して式を挙げるらしい。神前式の需要はそれなりにあるとのこと。
 
 ブライダル担当者は神社について「きれいでインスタ映えするんですよ」と言っていたけど、1枚の写真も撮ってない。カメラマンが式の様子を撮ったから、記録に残すならそれで十分だと思う。確かに色鮮やかな神社だった。
 
 新婦として本殿の内側に入ると、大河ドラマのような御簾の中は、飛鳥時代の壁画みたいにカラフルだった。わたしの知っている「侘び寂び」の日本とは違う。神主さんたちの衣裳も、鮮やかな緑だったり、紫と薄い黄色の重ねだったり、華やかと言っていい。
 
 奉納の舞を踊る巫女さんの衣裳は当然、紅白であり、白無垢を着た自分が一番色のない存在になった。目に入るすべての配色が、カラフルでアジアな感じ。
 
 反対に、今日おとずれた丈山苑(じょうざんえん)は、わたしの知っている日本だった。外は竹林、池には鯉。ししおどしのカコーンという音が響き、枯山水が見られて、木と畳の配色が落ち着く。鳥の鳴き声も随所でする。


 のんびりした雰囲気だったので、できることなら畳の上に寝転がりたい。それくらいのリラックス感がある。こんな家屋で暮らせた丈山という人はいいな。うらやましいと思いながら、池にいる鯉にエサをやった。
 
 こういうところはいい。あまりに落ち着きすぎて、なにかを頑張ろうという気持ちがぜんぶ失せてしまう。俗世を忘れられる。それだけふだんの生活が俗っぽいのかもしれない。たまには縁側でお茶を飲む時間が必要ですね、人間。
 
 11月には紅葉がきれいだから、よければまたいらっしゃいと受付で言われた。近くではないから気安くは来られないけれど、秋晴れのいまの時期も悪くない。まして平日だから人も少なくて、エサをやる人もいないせいか、鯉の喰いつきがすごかった。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。