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christmas Eve.

- NHK MUSIC SPECIAL Eve.

私がEveに出会ったのはいつ頃だっただろうと思う。
どうしてその動画に辿り着いたのか、またどうしてEveという存在を知ったのか、あまり鮮明では無かった。

ぼんやりと覚えてるいるのは、元々ボーカロイドが好きで、Eveとは違う他の方の歌ってみた等を聴いていた時、とても格好良い楽曲に出会った。何だろう、この独特な音はまり。言葉の言い回し。誰が作って居るのだろうと、動画内を探ったのを思い出す。

「アウトサイダー」

これが"Eve"を知る最初のきっかけだったと思う。 


後に、衝撃を受けることになった「ドラマツルギー」という楽曲には特別な想いが自分にもある。

何にもなれなかった自分、心が空っぽであること、自分の心と身体が何処か分離していること、捜してきた自分さえ何処にも居なかったこと、皆が'自分'を演じていること。
行き場のない感情が自分の中にも渦巻いていることを、この音楽に触れて思い知ったのだ。

それと同時に、こんなに自分の'中身'と音楽が一致してしまうことに快感すら覚えてしまい何度も繰り返し聴いた。歌った。救われていたし、何処にも居なかった自分がここに居るような気がした。

Eveがインタビューで言っていた、

僕 対 僕
もう一人の自分

というワードが印象に残っている。


話は変わるが、Eveさんは自分のことも人のことも、肯定していく人なのだなという印象がある。
それは楽曲にも現れていると思うし、配信をされていてお話を聞く限りでも柔らかい人だと感じていた。

私はその部分を深く尊敬している。

私は、人と比べてしまっては自分自身を攻撃して、否定して、一人で余裕を無くして、それでも表ではヘラヘラとしているような人間である。若しくは、もう無理だ近寄らないで。かな 抱えきれなくなって突然に殻に閉じこもってしまう。

正直、当時は自分で自分を攻撃していることにすら気付いていなかった。

自分にとっての良いが、人によっては悪になってしまうこと、その逆もあること、こんな簡単なことを知らなかったのだと思う。


自分自身を心から受け入れてあげること。
この努力が出来たのも、心掛けようと思えたのも、Eveのおかげだと断言してしまえる程、私はとても影響を受けている。
何故そうなったのか、決定的な場面などは存在しない
だけど心の中に届く歌があって、言葉があって、その人のことを知りたいと思って、心の在り方を尊敬して、あの日あの瞬間から今の今までEveの音楽がここで聴こえていることが何よりの証明だと私は思う。

ひとつひとつの音楽に対して、ひとつひとつ思い出がある。


踊る

Eveの'踊る'という表現がとても好きだ。
一見、踊るとだけ見ると何処かポジティブな、明るい印象があるが、反対に踠き苦しむ様、ジタバタしている様、どうしようもない衝動。反動。個人的にはこちら側の見方が強いかもしれない。
何処か踊っているように見えないだろうか。
いや、それを'踊り'と喩えているのではないか。

そんなことを思って、また自分も内側では踠いていながらその姿が踊りであるように見えていたい。そんな事を思うようになっていた。



「もう一人の自分」がそこに在ること、それを知ったのは紛れもなく'他の誰かが居たから'である。

忘れてしまいたいような、忘れたくないような
手離したくないような、今すぐ棄ててしまいたいような
もう一度会いたいような、もう二度と会いたくないような

相反する気持ちが、私の中であの時生まれてしまった。


もう二度と、こんな哀しい想いなどは要らない、想い方を間違えたくない、散々削られてきた心の形に唯一残ったのは自分だった。そう、自分だった。


Eveが自分探しの入り口であったし、Eveが自分探しの方位磁針でもあって、自分が手離せばそれはもう捨ててしまえるけれど、持っていれば何処かに連れて行ってくれるような、良い意味で曖昧な、でも傍に居るような、存在であってくれたのだと思う。


また今年も終わっていく。

来年はどんな自分に出会うだろう。

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