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不思議なハンコ屋さんとの出会い


生きていたら
人生を大きく変える人と
出会うことがありますね!


といっても


そんな人との出会いは
限りなく少ないけれど


私が人生で忘れられない人は
東京にあるハンコ屋さん
「山本印店」のおじいさん


従姉妹が教えてくれたのですが
なかなか予約できず
気になり始めて1年後に行くことができました


いまから18年前の2005年3月のこと


このハンコ屋のおじいさんは
使っていたハンコを見れば
いろんなことがわかるのです


予約は前日しか受け付けていないので
(1日5人だけです)
もしラッキーなことに予約できたら
使っていたハンコを持って行きます


私は関西から
ハンコを握りしめて新幹線に乗りました

東京駅から山手線に乗って
最寄駅からバスに乗って


ハンコ屋さんに着くと
そこはビルとビルの間にある小さなお店
ガラガラガラと扉を開けると


おじいさんが机の前に座って
その横に椅子がありました


私はそちらの椅子に座って
持って行ったハンコを机に置きました


するとおじいさんは
その私のハンコを見るなり

「早く帰りなさい。すぐに帰りなさい」と


私はこの場所からすぐに帰りなさい
と言われているのかな?と
最初、意味がわからなかったのですが


「早く実家に帰りなさい。
あなたはオギャーと生まれた時から
男の子をふたり産んで実家に帰って
後を継ぐことになっていました」と


私は三姉妹の長女だったのでビックリ


そのことをハンコ屋のおじいさんに伝えました

「そうでしょう。そうなっていたのです」と

実はモラハラ祖母の親戚との結婚で
私の夫もモラハラで。。
結婚生活15年目で
病気を発症した直後だったのです


ただ親戚との結婚だったから
離婚はあきらめていたのです。。

家族は揉めることになるし
もちろんモラハラ父は帰るなという感じで


そのハンコ屋さんのおじいさんは


このまま我慢していたら
病気は治らないよ
早く実家に帰りなさい」と


私に後押ししてくださって
お店を出る時は覚悟が決まって
帰りの新幹線の中は震える気持ちで


どうやって家を出よう
そのことで頭がいっぱいで
とりあえず家に着いたら冷静を装い


少しずつ荷物を実家に運んで
モラハラ夫に気づかれないように。。
息子たちと一緒に家を出ることができました


その後、裁判で
5年かかりましたが離婚することができました


もし、あの時
あのハンコ屋のおじいさんに出会っていなければ
まだ我慢して暮らしていたことでしょう


私がモラハラ夫に長く我慢できたのは
自分の父親がモラハラだったから
男性はみんな家の中ではモラハラだと思っていたから


逃げ遅れたのだと思います。。


山本印店のおじいさんに
助けられた人は多いと思います


ネットではいろんな体験談が出てきますよ


私の母は違う日に予約ができて
ハンコを持って行きました

母のハンコを見るなり


「あんた姑で苦労したね。。
あんたのお父さんがあの世で
姑のことを叱ってくれているよ」と


母はモラハラ姑で苦労したこと
山本印店のおじいさんに
話していないのに


ハンコを見ただけで
わかったことに驚きました


ハンコが悪ければ
その後、作っていただけます


3本で 23.000円くらいかな

すごく素敵な字体で作ってくださって
いまも大切に使っています

お気に入りです♡


私にとって
人生の恩人であり、命の恩人
奇跡的に導いていただご縁に感謝です

ハンコ屋のおじいさん長生きしてくださいね♡


暑くなってきたので
ガマスリッパに夏らしいリボンをつけました!


Merci 🤎


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