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ポリアモリーの中の多様性

人それぞれに個性があるように

恋愛やパートナーシップの在り方にも個性がある。

その個性を「婚姻制度」という画一的な枠組みの中に閉じ込めるには無理がある。少し前の時代まではその枠組みこそが国を大きく発展させるために最も最適な方法だったから、誰もが疑問に思う事なく、画一的な仕組みに自分を閉じ込めていた。

結婚はたった一人と、未来永劫する事こそ、が最高最良だと、誰もが信じて疑わなかった時代。 いまパリパリと、その卵の殻が割れる音があちこちから聞こえている。

「婚姻制度」がなぜ必要だったか・・・については、また後日語りたいと思うが

今日は

「ポリアモリー」という、ある意味「制度・概念」のようなものにすら、当たり前だけどカップルの数だけ個性があって、多様性がある、という話をぜひここでしたいと思う。

そうそう。「関係者全員の合意を得る」というのがポリアモリーとして最も大切な定義である事はすでに述べた。

それ以外に、私が個人的に大切にしている思いがある。それは

「格付けをしない」である。

誰が「本命」とか「第一婦人(夫)」とかで 誰が「キープ」とか「愛人」とか「二番目」とか、そうやって愛を量り、格付けをしない。これは自分に「格付けをしてはならない」と禁じているわけでは決してなく、愛は無限であると心から腑に落ちた今、真実に聞いた時に湧き上がってくる思いに他ならない。

ここで初めて、いま私が「愛を感じながら」関係を構築している愛しい人達の紹介をしたいと思う。

出会った順番に便宜上ナンバリングするが、これは前途した様に「格付け」ではない事を改めてここに記したい。

1・元夫 結婚8年目にして「婚姻制度の枠組みを外れて大きく拡大していく」をテーマに、ポップに離婚。 といえば綺麗ごとのようだが、実際にも大して仲が悪かったわけではない。ただ、彼と私には、ある時期出会い惹かれあい、結婚をして子供までもうけただけの因縁めいた学びがある事は確かに確かで、その課題がある程度のところまで終了した段階で離婚というステップを踏んだ。これで彼との関係が終わった(学びがすべて終了した)わけではない事を、潜在的に私は知っている気がしている。だから離婚した今も、まだ彼をパートナーとして認知している自分がいるのだろう。

2・13歳年下のJO君・・・出会った当時、私と彼は「セックス」に関して乗り越えなければいけない課題が非常に似通っていた。 初めて会った時からなんでも話せる気の置けない友人・・・という感覚があったけれど、出会いから3か月目に 、セックスもする親密な関係に自然となっていった。ただ、ずっと永くパートナーとして互いに同じ方向を向いて歩んでいく人ではないことをお互いがわかっている。彼自身も恐らく「ポリアモリー」な人で、今その急激な変化を一緒にライブで味わっている私のソウルメイトでもある。

今のところ、この2人の男性と、私は「ポリアモリー的パートナーシップ」を構築している。

先に述べたように、それには「全員の合意」が必要なのだ。

が、その「合意の仕方」にすら、その相手を目の前にした時の自分の心の在り方、相手の心の在り方に、最大の敬意とシンパシーをもって、高いコミュニケーション能力を用い、細心の注意を払って行う、ひとことで言えばそれは「愛」なのだが、愛をもってその合意を得る、という事が

本当に一筋縄ではいかないのだった。

それこそが「多様性」なのだった。

「合意してね」「ああいいよ」と画一的に行くのならば楽だ。だけどそんな答えがわかっているテストのような体験は、地球では必要がなかった。だからわざわざ大変な難問を解くかのような体験を自分で選び取っている。

だからポリアモリーは愛しくて、楽しい体験だとも言える。

この体験を味合わせてくれる2人と、その2人がさらに大事に思うその向こうのパートナーさんにも、愛を送りたい。

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