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人生の途上で見た風景

『メルカリとの出会い』


この話は少し辛いのだが、今の気持から卒業するために、ちょっと書いてみようと思う。

私がメルカリを始めたきっかけ、と言うか目的は、遺品整理だった。
故人が生前気に入っていて、大切にしていたものは、捨てられなかった。
それと、人と言うのはいつ死ぬかわからないものだと考えるようになり、私自身も所持品整理をした方が良いと思うようになった。
実際のところ、長年まったく使っていないものがたくさんあった。
そこで、最初は自分の所持品の中でもどうでも良いものから出品を始めた。
少し慣れてから遺品整理を始めたが、それもやはり手放し易いものから売り始めた。
だが、ギリギリ売れる範囲で少しでも高い値段を付けるようにした。
と言うのは、全部持っていると思い出に溺れてしまうため、少しづつ手放してゆきたいわけだが、故人がお気に入りだと言っていたのを思うと、大切にしてくれる人限定で譲りたいと言う我儘な気持が、どうしても生じる。
けれども、そんなことは決して言えない。
唯一できることは、値段を高く設定することだけだった。
そうすれば、それでも欲しいと言う人しか買わないから、大切にされる確率は上がる。
悩んだものの一つに、ニット帽があった。
かなり使い古されていたし、素材も化繊で、見た目も地味だった。
ニット帽と言うのは安値で大量に出品されるため、非常に売り難い。
新しいもの、未使用のもの、ブランドもの、色がきれいなものなどから売れてゆく。
だからいつまでも売れ残るかもしれないと思ったが、どうしても300円にはしたくなかった。
迷った末、380円で出品し、線香を焚いて、祈った。
すると、あっけなく売れた。
時期はシーズン終わりで、ご購入者様は意外にも男性だった。
こんな風に、手放したいが、なかなか割り切れない部分もあり、遺品整理が完全に終わるまで、この先何年もかかるだろう。
さて、そんな中、時々思い出し、辛くなることがある。
亡くなる半年くらい前だった気がする。
彼女は押し入れの中を整理しており、服を処分していた。
だが、どの服も、処分前に、私にもらわないか?と、声をかけてきた。
私は自分が使う可能性があるものはもらったが、そうでないものは「いらない」と言った。
その中には、彼女が気に入って買った服もあれば、元々は私が自分のために買い、しかし彼女がほしいと言うので新品のままあげた服もあった。
どの服も、彼女は一度も着ていないと言った。
そして、だからもらわないか?と念を押してきたのだが、私は、「自分で着れば?」と返した。
当時の私は、彼女が余命宣告されていることをまったく知らなかったのだ。
だが彼女は、生きている間に片づけなくてはならないと思って整理していたのだろう。
彼女は今後も着ることはないと言い、もう一度、もらわないか?と言ってきた。
私は、私があげた服については、捨てたら悪いと思って返そうとしているのだろうと考え、「気にしないから捨てていいよ」と言った。
すると彼女は非常に残念そうな顔をし、服をまとめて捨てた。
その時の私は深く考えておらず、気に留めていなかったのだが、最近、当時のことを頻繁に思い出す。
彼女が辛そうに服を捨てた場面が、映画のように、何度も再生される。
今なら、あの時の彼女の気持がよくわかる。
彼女は、結局一度も着ないまま死んでゆくことになり、とても気に入って大切にしていたものを、未使用のまま自らの手で捨てるのが、とても悲しかったのだろう。
すべて私が継承して、着ることを望んだのだと思う。
私が彼女の立場なら、そう願う。
それを知らなかったとは言え、捨てさせてしまったことを、本当に申し訳なく思う。
思い起こす度に、「過ぎたことだから仕方ない」と、自分に言い聞かせるが、再生は終わらない。
執着を手放さなくてはならないと思う。
なかなか遺品整理が進まないのは、執着してしまうからだ。

これが、私の原点だ。
だから私は、今後も利益を第一とすることはできないだろう。
納得して手放してゆくことが目的なのだ。
もしもメルカリがなかったら、私は何も手放せず、思い出に埋もれて、朽ちてゆくばかりだったかもしれない。
そうならずにいられるのは、このメルカリと言う、禁止された品でなければどんなものでも出品できて、それを必要としてくれる人と出会わせてくれるアプリのお蔭なのだ。
今が、そんなアプリが存在する時代であることに、私は感謝している。

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