自由が縛られ続ける生活
半年ほど前、話をした人がこういうことを言っていた。
一年後、あるいはそのまた一年後には生活状況も元通りになってる、とかなんとか。
未来のことなんて誰にも分からない。
合ってるかもしれないし、でも、その時にならなきゃ分からない。
それにその時になったら、きっとそんな言ってたことなんて忘れている。
今年の初めから日常が変わって、
自分も、なにかに苛立ちながら上半期を過して、
不安がちらついてるような下半期を過ごしている。
絵を描くことが好きだったけど、エネルギーは余りすぎていて、何も思い浮かばなくなってしまって、ゲームばかりしていた。
お笑いライブを観るのが好きだったけど、予約していたライブは全て中止になった。ライブが無いから、ライブに行く予定も入れられなくなった。動画配信では観ていたけれど、やっぱりライブ会場で観ていたライブの楽しさが恋しくなって、配信を見ることさえ悲しくなってしまうこともあった。
夏になったらマシになるかな。
クリスマスになったら、また楽しく過ごせるのかな。
そんな僅かな希望をもって、何もやったような気がしないまま、今年が終わっていくような、そんな気持ちになっている。
1ヶ月後はクリスマスだけれど、
きっとまだ今と、今日とそんなに変わらず、家にいなければならない、誰かとも遊びに行けないような年末なのだろうなと。
イルミネーションの灯りや、毎年色んな場所で聞こえてくるクリスマスの曲も、今年はそんなに見聞きしないのだろうな、と。
耐える人と耐えない人。
時と場合によっては、耐えない方がいい時もある。
耐えなきゃならない時もある。
自分が耐えたところで誰のためになるんだ?と思う。
自分が過剰なだけなのか?と。
耐えてない人だっているのに。と。
なんで自分だけが?なんて思っちゃったりする自分は悪いのかもしれない。
「この状況が落ち着いたら景気も回復するはずだ。その頃には求人も多く出るけど、その時を逃したらもったいないよ」
などと言われたのも半年くらい前だったかな。
そんなこと言われたから、焦っている。
嫌な焦り。
自分は焦って決めたもので良かったことなんてない。
そもそも、その言葉も本当かわからないし。
嘘に焦らされてるとしたら自分に対しても苛立つ。
もう自分の場合は何度か経歴ごと否定されてる。
生きてちゃいけないんですか。
経歴詐称でもしろと言うのですか。
偽った自分で生き続けるなんて、耐えられないです。
他人と勝手に比べ絶望する自分が嫌いすぎて、
この命ごと投げ捨てたいような気分になっちゃいます。
「仕方ない」の一言で色んなことが済まされてるような気がして、
本当なのかな、と、思ったり苦しくなったりしながら、
気づいたら日は沈んでいる。
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