残機0で生き残る
「一回きりなんだよ、人生は!!!」
ライブの度にそう叫び続けるロックンローラーがいる。バンド・神聖かまってちゃんのフロントマン「の子」氏である。
私の人生も誰の人生も一度きり。人生という一面しかないステージを一機だけでクリアする必要がある。そこにリトライという概念はない。ゲームオーバーになってしまうのは明日かもしれないし、数十年後かもしれない。至極当たり前のことなのだが、改めてその事実を認識する機会は少ない。年齢を重ねれば尚更だ。筆者は人生の節目節目でこの一言に少しだけ背中を押され続けている人間の1人である。
00 何故神聖かまってちゃんなのか
私が神聖かまってちゃんを知ったのは高校生の頃だった。と言っても2010年頃なので既に10年以上の時が経過している。(怖.....)
彼等のファーストアルバム「友達を殺してまで」を高校帰りにTSUTAYAで借りた。当時は聴き専のロキノン厨、大学に入ってからは当たり前のように軽音系のサークルに入った。田舎の大学で都会を夢見てロックンロールの真似をするどこにでもいる大学生だった。自分からメンバーを集めてコピーをするくらい好きなバンドも複数いたはずだが、今追い続けているのは神聖かまってちゃんのみ。(!)
ちなみに、高校生の頃初めて聴いた彼等のアルバムは特段に心に刺さることはなかった。「ロックンロールは鳴り止まないっ」が良い曲だなと思った記憶はあるけれど。奇しくも歌詞にある「何が良いんだか全然分かりません」状態だった。サマソニとか、伝説の「なると」事件など、の子の奇行が目立っていた印象。
ズドーンと心に突き刺さったのは大学2年の夏。夕暮れの大学図書館で「知恵ちゃんの聖書」を聴いた日。凄い曲だと思った。なぜかそのときの情景と音楽がシンクロした。PVでは空という風景を額縁にいれているシーンが印象的。賛美歌のような神聖さがあるのに根本はロック。一見、異種格闘技のようだけど本当に綺麗にまとまっている。
これ、公式がお金を出してるPVじゃないんですよ。の子と親父さん(たまにメンバー)がハンディカメラで撮ってるんですよ。謂わばホームビデオのようなものなんですよ。良すぎる。
それからはのめり込むように彼等の曲を聴いた。2015年、初めて遠征をしたのも神聖かまってちゃんのライブだった。ニコニコ動画の過去動画を未漁ったり、ツイキャスを観たり。人生の節目節目にかまってちゃんがいるようになった。まさにロックンロールは鳴り止まなくなったわけである。
これは余談だが、なんというか、率直に言うと自分のことを歌ってくれているように感るときがある。少なからず、神聖かまってちゃんのファンの方はそう思うことあるんじゃないかな。
しかし正直なところ、熱狂的なファンというわけではない。全ツアー参加してるとか、そんなんじゃない。コロナ禍では殆どライブに触れなかった。の子の配信も全然追ってない。聖域会員ではあるが、FCは入ってない。Twitterの繋がりも辞めてしまった。でもなんかずっと心に「神聖かまってちゃんの領域」みたいなものがあって、言うなれば実家のような安心感がある。自分でもなんで???と思うが、多分波長みたいなものが合っているんだろう。人間でも何故か気が合う人とかいるじゃないですか。元も子もない?でも多分そんな感じ。
そんな彼らが2023年夏、地元盛岡に来るらしいという情報を得たのが7月下旬。盛岡に神聖かまってちゃんがワンマンで来る?????(2017年の夜の本気ダンス対バンで来た時も行きましたが、ワンマンでは初なのだ!)
Twitterのアカウントを転生しまくっているためツイートは残っていないが何回か「神聖かまってちゃん、盛岡に来ないかな」と呟いたことがあった。その裏にはどうせ来ないだろうという気持ちがあった。当時、どうやったって千葉ニュータウンと盛岡は繋がらなかったから。元彼が千葉に就職したので、無理矢理21歳の夏休みに九十九里浜に行った記憶が懐かしい。(キラカードを貼り付けてはくれなかったけど)そんな世界線で生きてた学生時代の私、よかったなという半ば供養のような気持ちでチケットの購入ボタンを押した。仙台とか東京の公演に通っていたんだよな〜。こんな日が来るとは!生きていればいいことがあるなんて、正直響かない言葉だ。良いことがある分、悪いこともあって、後者に打ちのめされてしまうことが多い。でも、生きていれば予想外なことはごまんと起きる。もしかしたらそれが人生を楽しむということなのかもしれない。知らんけど。彼らが盛岡に来ると言うことは、30歳まで生き延びた自分へのご褒美のような気がした。ゲームで言うなら、やっとセーブポイントに来た感じ。........人生、長すぎる。
01 2023年8月17日@the five morioka
そんなこんなでチケットは確保していたものの、コロナがまた流行しているようで、正直前日まで会場に行くか躊躇っていた。もし感染したら職場に迷惑をかけるとか、来週末実父母に会うからな、とかそういう気持ち。同じようなことを考え、参加を取りやめたライブが今までも数回あった。でも、もしかしたら二度と盛岡には来てくれないかもしれないという気持ちがずっと心に引っかかっていた。今回のツアーは特殊で、普段の彼等のツアールートにおいては東北=仙台での開催だ。(私は現在仙台在住なので、有難いことなのだが)その他の東北の地域に来ることがまず稀なのだ。そして、私生活の都合で来年は大阪に住むかもしれない。そうなると東北のライブハウスに来ること自体難しくなるだろう。更に、the five moriokaは学生時代自分も数回立ったことがあるライブハウス。彼等が同じステージで演奏してくれるなんて、もう二度と無いかもしれない。そんな気持ちが入り混じったとき、の子が言う「一度きりなんだよ、人生は!」が私の背中を押した。
職場の課長に頼み込み、半休をもぎ取った私は新幹線に乗り久方ぶりの故郷・盛岡へ向かうことにした。仙台の駅へ向かう道中、背中を伝う汗を感じながら自転車を漕いでいたときに実感した。「あ、夏だ。」と。普段はコンクリートの箱の中、冷房ガンガンのオフィスで仕事しているし、退社は夜。こんなに日差しが暑いのかと気づくこともない。ギラギラ光る太陽の下、仕事をサボって新幹線に飛び乗る。これはもう30歳の夏休みと言っていいでしょう。
仙台から盛岡へ向かう新幹線の車内、こんなに身軽な姿で席に座っているのは私だけだ。車内には大きなトランクケースと一緒に座っている帰省者たちが見受けられ、その対比も僅かに私を高揚させた。車窓に広がる景色は立ち並ぶビルから田園へと変化していく。岩手ってこんな感じだったよな。当たり前のように続く田畑、たまに現れる民家、木が生い茂る森、雄大な北上川。都会には無いものばかりでノスタルジックだ。住んでいた頃はこんなど田舎早く捨てたいと思っていたのに皮肉な話である。
盛岡に着いてからは物販でTシャツとタオルを購入。こういうのもいつぶりだろうとじんわりとテンションが上がる。ツアーTシャツに着替えていざ出陣。(入り待ちの「何番ですか〜?」というやり取りが地味に好き。)
ライブ前のSEが戸川純の時点でかなりぶち上がった。純ちゃんも私の青春だったんです。ヒステリヤを大学の追いコンでコピーして号泣したのも今となってはいい思い出。ライブハウスの空間に入った瞬間、蛹化の女が鳴っていてうそだろ?と思ってしまった。(サイコー!)
スピーカーの脇に陣取ったのだが、過去一良ポジションだったかもしれない。mono君の手元ががっつり見える位置!(全然関係ないけどmono君の今の髪色好きだ〜。似合ってる。)と言うか前から1.5列目くらいだったのでライブを通してずっとの子が観れて、こんな良位置で良いんですか〜!?という感じ。(身長が低いので基本的に演者が見えることはない)コロナ禍以前は真ん中でワイワイするのが好きだったなーとか思いながら、19時になるのを待つ。five moriokaはキャパ100くらいのライブハウスなのだが、その分演者と客席との距離が近いので地方のライブハウスはやはりいいな〜と思う。東京などではあり得ない距離にの子monoが登場した。(みさこさんは殆ど見えず泣 ユウノスケ君も夜空での子位置に来た時くらい...)
02 セトリについて
一曲目。
まさかの「知恵ちゃんの聖書」!
前述した大学図書館から眺めた夕焼けがブワッと目の前に広がった気がした。この記事を途中まで書いていたのだけど、そんなことありますか?これだけで来てよかった...と思った。最高の幕開けと言っても過言ではない。
セトリは控えめに言っても最高でした。(語彙を無くした姿)知恵ちゃん→光の言葉のホーリー感。美ちなるほうへを盛岡で聴けたのもよかったな。ズッ友もハマった頃にリリースされた曲なので感慨深い。
特にも、夜空の虫とどこまでも→自分らしく→僕は頑張るよっ の流れが個人的至高だったので各楽曲を少し紹介します。
02-1 夜空の虫とどこまでも
夜空の虫とどこまでもは初期に好きになった曲。BAYCAMP2014のアクトが素晴らしい。
境界性パーソナリティ障害の人は前世が天使だとかいうオカルトめいた話を小耳に挟んだ時に真っ先にこの動画を思い出したりして。の子氏は天使っぽい無邪気さ。まさに神聖な感じがする曲ですよね。かの故・坂本龍一教授も認めたという一曲。ちなみに、今回の盛岡公演では、の子がmonoくんパートを弾いていたあたり、プレミアだったのかもしれない。
02-2 自分らしく
こちらもBAY CAMP2014のアクト
うーん、めっちゃ良いな...。個人的に、この曲には本当に救われた過去がある。性別が女なのだから「女の子らしくしなきゃいけない」に悩まされた時代が長かった。「女らしくでも男らしくでもなく、どっちでもいいから自分らしく生きろよ」と言ってくれたことが嬉しかった。駅の喧騒の中の子がスカートに着替えるPVが印象的なので、気になった方は原曲PVを観てほしい。
02-3 僕は頑張るよっ
めちゃくちゃ個人的な話なのだけれど、インターンシップだったり、就活の面接であったり、なんというか、とにかく人生の節目(死にたいほどしんどいとき)に聴いていた曲。人間はいつか死ぬ、それは逃れようの無い事実である。だから、自分の道は自分でなんとかこじ開けるんです。失敗しても、いつかは死ぬから大丈夫なんです。怖いけど、なんとか生きていくんです。
...と思いながら応援してもらった曲です。ありがとう。
02-4 フロントメモリー
夏と言えばこの曲。ずっと真夜中でいいのに。のACAねさんのオマージュソングが今年発売となったそうですね。聴きました。神か。これは夏。夏ソングすぎる。
夏!!!!!夏じゃん!!!ありがとう8月!!!!
...などというカバーを経てから聴く本家もマジでいい。むしろ、本家しか勝たんと思ってるタイプの民です。ごまんといるだろ、そんな奴。
Fucking Rock DJ!!!
頑張ろっかな今日は、それは昨日の続き。
頑張れない。
頑張るよと言ってみたり、頑張れないと言ってみたり。兎に角、私たちに寄り添う音楽なんだよな。そういう距離感に救われたりしません?
さらには夕方の恋という曲がフロントメモリーの元であって素晴らしいメロディなんですよね...。泣
という諸々を盛岡で発散してくれた神聖かまってちゃん。ありがとう...!私という存在が数年の時を経て浄化されました。南無。
2023.08下旬
筆者は案の定コロナにかかりましたが、復活しました。いや、でも本当に良かった。あの体験は私の人生において二度と無いから。良かったよ。そんな体験を積み重ねていくことこそが人生だと思ったアラサーです。みんなこれからも生き延びていこうね。と思うわけであります。
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