『ハムネット』マギー・オファーレル著 小竹由美子訳 <田園に生きるひとの苦悩と恢復>

 史実その一。十八歳で八歳上の女性を身ごもらせ結婚した後に、ロンドンで劇作家として名を馳せるまでのウィリアム・シェイクスピアに関する記録はそれほどなく、「失われた年月」と呼ばれている。
 史実その二。彼の息子、ハムネット・シェイクスピアは十一歳で他界した。死因は定かではない。その四年後にシェイクスピアは『ハムレット』を書く。
 史実その三。当時流行していた黒死病(ペスト)あるいは疫病という言葉にさえ、シェイクスピアは戯曲でも詩でも一度たりとも言及していない。

 作者マギー・オファーレルはこの三つの史実を想像力豊かに組み合わせ、物語を紡いだ。主人公は、この八歳年上の妻だ。ウィリアムは、ラテン語教師、家庭教師、夫、息子、父親などと肩書きで語られるのみで、一度も名前で呼ばれない。この有名すぎる人物を可能な限り背景のように扱い、後世、悪妻の汚名を着せられることの多かった妻アン・ハサウェイの語り直しが試みられる。ちなみに、この名前も有名な女優を想起させるため、本作では遺言状で正式名とされるアグネスが使われている。

 ひとりの男の子が家族を捜しているシーンから物語は始まる。双子の妹が重病なのだ。冒頭で簡潔に史実が示されているので、読者はここで軽く混乱する。死んだのは男の子ではなかったか?

 幼少期のアグネスは継母に、ウィリアムは実の父親に虐待されて育つ。二人は生家を出て行きたいということを唯一の望みのように生きていた。アグネスのたぐいまれな強さの秘密が読者に明かされる。アグネスには人の心や運命が見えてしまうのだ。そして時折やってくる啓示のような天からのサインを読み取って、自然とともに生きている。ある意味で、彼女は近代以降に人間が失ってしまったものをまだ手にしているのである。

 実は、彼女には見えてしまっている。後年、自分の死を看取ってくれる子どもがふたりしかいないということが。長女を産み、その後双子を産み落とすと、逞しく生きてきた彼女はこのビジョンに常に不安にさせられるようになる。

 ハムネットの死後、アグネスは糸の切れた人形のようになってしまう。そしてようやく恢復してきたアグネスを殴打のように襲うのは、離れて暮らしている夫が書いた次の芝居の題名だった。アグネスは決心する。夫のいるロンドンに行こう。なぜ死んだ息子の名前を芝居の題名などに使うのかと夫を詰問するのだ。

 ウィリアムに付いてロンドンに行くことはせず、田園にとどまるアグネスの暮らし、その手ざわりや匂いや音は異様なまでの臨場感を放つ。オファーレルが観念ではなく、具体的な事物を語り、その読者に生々しい実感を残すのに長けているからだろう。たとえば、息子の死後のアグネスは「靴の片方が見つからなかったりスープを煮すぎたり鍋に躓いたりすると泣き出す人間になってしまった」などと描写される。

 近代以前を象徴する異能の人アグネスが目にする大都会ロンドンの描写も、本作の白眉だ。雑踏と汚れた空気と猥雑さと卑俗さと熱気。全く未知のエネルギーで動いている都市というものの息吹き。それがアグネスの目を通すことで異界のように立ち現れ、ここまでオファーレルの巧みな描写を通して素朴な生活を追体験してきた読者の私たちをもたじろがせる。

 シェイクスピアがどれほどの天才だったのかは、この物語の主題ではないのだろう。終始、夫の影は薄いものの、アグネスが一目会ったその日から本質を見抜き、運命に翻弄されつつも唯一無二の存在として愛した夫としての姿が描かれる。ロンドンで夫と対面したアグネスはどのような決着をつけるのだろうか。

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