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【往復書簡】無茶ぶりに悶絶するゾンビの巻

\\\往復書簡、やってます///
人の話を聞くのが大好きな”めけ”と”ねる”が、あまり話を聞かずに好きなことをおしゃべりするお手紙マガジンです。

▼前回の手紙


 どんなワードにも頭に「おもしろい」と着くと途端に難易度があがる
 人それを無茶ぶりという

 つまらないことならすぐに書ける。
 世の中に矛盾はたくさん存在しているのに人々はそれをスルーして過ごしている。これこそが最大の矛盾なのだけれども、もっとニッチで「あー、確かにそれは見逃している矛盾だ!」みたいなことをご要望なのだと思う。

 男女の機微とは矛盾に満ちているが、僕の知っているエピソードをひとつ披露しよう。
 これはフィクションであって実際にそのネタになるようなことがあったのかどうかは定かではない。とある短編小説のネタバレを含むのだけれども、まぁ、キングなので「周知の事実」と勝手にしてしまってもよいか。古いし。

 離婚調停を進めている男女がランチにとある街中の――ニューヨークのようなビジネス街から少し離れたクイーンズあたりをイメージしてもらったらいいのかな―—レストランで食事の約束をする。
 それぞれ思惑があるにしろ、これである程度調停できるということもあり、良好ではないにしてもギスギスもしていない挨拶ののちにウエイターに案内されてやや隅の話やすい位置のテーブルについた。
 きわめて日常的な挨拶程度の会話をしながら注文を待っていたが、そのウエイターの様子がどうもおかしい。男は場所を変えることも考えるが別の店を探す手間をかけるのは気が進まなかった。
 この二人はおそらくこうしたシチュエーションで意見がわかれることがたびたびあったのだろう。次の場所を探しているうちに相手の機嫌が悪くなることを男も望んでいなかったし、おそらく彼女も同じ気持ちにちがいないと
、そう推し量ったことで悲劇が起きる。

 中略(ここで起きるエピソードは面白いので読んで欲しい)

 突然ウエイターが奇声を上げて暴れ始める。彼は手当たり次第にモノや客に当たりちらすが幸い、二人が座っているテーブルは奥のほうなので二人の存在は気づかれていない。男は一人だけなら逃げることも可能だったが、さすがにそれはできないので、彼女の手を引いて物陰に隠れ、どうにかイカれたウエイターをやり過ごそうと試みる。
 男の思惑通り、隙をついて逃げられるかというときに不意に男は後ろから強い力で押し出されてウエイターの視界にさらされる。

 何が起きたのか

 男の指示に従順に従っていた彼女は、男がかがんで様子を見ている背後にいた。その男の後ろ姿、とりわけ尻を観ていたら無性に蹴り飛ばしたくなり、後先も考えず、或いはここぞとばかりに男のケツを蹴り飛ばしたのだった。

 さて、二人の運命やいかに


 というお話
「ゴーサム・カフェで昼食を」は90年代の作品で、収録していたのはなんだったか忘れましたが調べたら扶桑社からいろんな短編のアンソロジーとして販売しているようなのでこちらを載せておきます
自分の記憶だと別タイトルの短編集だったような……

 もう十年、二十年前に読んだ話なのでところどころ違っているかもしれないけれども、そんな話です。

 離婚調停中とはいえ、暴漢から守ろうとしている男の尻を後先考えずに蹴り飛ばすって、女はいったい何を考えているんだ! というのが男性読者の感じるところなのかもしれないが、めけにはわかる。女の気持ち。

 そこに憎い男のケツがあったから蹴り飛ばしただけ

 おそらくキングはそういうことを書きたかったのだろうし、そういうエピソードをどこかで見聞きしたのだと思う。

 論理的に考えればそんな危険なことは避けるべきなのに、感情というやつは思考を超えて身体を動かすことがある。人は感情の生き物なのか、それとも打算や計算を優先する生き物なのか。実に興味深いテーマであり、多かれ少なかれ、誰もがそういう「誘惑」にかられたことがあるのではないか。

 感情だけでは生きられないが、感情なしでは生きたくない
 感情を「愛情」と変えてもいいし「ユーモア」でもいい。人は常に生きるためにはさほど必要のないものを抱え込んで生きているほうが幸せなのだと思う。

 それは「生きる」ということに関する「大いなる矛盾」であるが、めけはとっくにその答えらしきものを持っている。

 それはどうせ死ぬのになぜまともに生きられるかという矛盾だ。

 他の生き物は死を人間のようには理解していないと思う。死への恐怖、危険を避けることはあっても、死について考えることはないだろうし、死について誰かと語り合うこともないだろう。だけど人間は「死」を認識しているにも関わらず「狂うことなく生きている」稀有な生き物だ。

 結果はゼロになるとわかっていながら何か残そうとする。「無」という終着点に向かう電車に乗って、しかも途中下車することはだれ一人として許されない。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」よろしくだ。

”チェックインすることはできても、自分でチェックアウトすることはできない”

 それでも笑って生きることができるのだから、ここぞというときに気に入らない男のケツを蹴り飛ばすことなど、どうということはないだろ。

 このエピソードがお気に召さない場合は、こんな話はいかがだろうか。

 冷蔵庫に入っている他人のプリンはなぜ、あんなにおいしそうに見えるのか。

【怖い話】
 彼女はいつも冷蔵庫を開けてはなにやらにやにやとしている。いったい何が入っているのだろうと、隙をみてのぞいてみると……、そこには何一つ入っていなかった。いったい彼女には何が見えるのだろうか。いや、もしかしたら何かが入ることを楽しみにしているのでは。そう思った瞬間、背後から僕は襲われ、気を失った。
 どれくらいの時間がたったのかわからない。意識が戻った。どこにいるのかさえ分からない。おかしい。

 真っ暗だ。寒い。

 おわり

 僕の好きなタイプの矛盾。誰かを好きになりすぎると、その人を独り占めしたくて仕方がなくなる。そのような人は最終的に愛する人を身近なところに閉じ込めてしまいたくなる。愛深きは鬼のごとしである。 

【夢の話】
 娘が怖い夢を見たと言っておびえながら僕の布団に入ってきた。
「どうした。怖い夢をみたのなら、できるだけ細かく話してごらん。怖い夢はね。人に話をするともうその続きは観なくなるんだよ」

 娘は怖い夢の話をし始める。僕は細かいところをところどころ質問する。その場所は見覚えのあるところか聞くと、最寄りの駅前だという。駅からアパートまでは歩いて10分もかからない。帰ろうとしたら町の様子がおかしい。よろよろと動く人が他の人を襲っている。細かく聞くとそれはいわゆるゾンビであることがわかった。ゾンビも怖かったがゾンビを倒す人のほうが彼女は怖かったという。それこそゾンビ映画の神髄なのだけれども、そこで僕はおかしいと思った。

 今までゾンビもののテレビや映画は見せたことないのになぁ。

 娘が怖かったのはタクシーの運転手が大きな刃物、なたなのか鎌なのかそれを振り回してゾンビを殺しながら走っている姿を見て自分も殺されると思ったそうだ。

 どうにかアパートにたどり着いた娘は、すでに母親がゾンビになろうとしていることにショックをうけるが、ママゾンビはなぜだか襲ってこなかった。ただゆらゆらと揺れながら立っているという。

 娘はしっかりと戸締りをしたが、弟は何がおきているのかわからない。玄関のドアをノックするような音を聴いて弟は誰か来たと思いドアを開けてしまう。そこからゾンビが侵入……そこで夢は終わったらしい。

 娘にホットミルクを作って飲ませたら落ち着いたらしく、すぐに寝てしまった。僕はずっと考える。どこで夢を見るようなゾンビ体験をしたのだろうか。

 これはもしかしたら……。
 僕には思い当たる節があった。それは幼少のころ、ゾンビ映画を見て以来ずっと、ゾンビに襲われる夢にうなされてきた自分のことである。

 夢は果たして遺伝するのだろうか?

 子供が生まれてからというもの、僕はすっかりゾンビの夢を観なくなったのだが、この夜を境にまたゾンビの夢を見るようになった。しかしその内容はこれまでといささか変わっていた。怖くないのだ。

 僕は車に積んだ対ゾンビ武装でゾンビを刈るゾンビハンターになり、日夜ゾンビを追いかける夢の住人となった。あれだけゾンビを怖がっていたというのに、子を持つということは、ある意味恐ろしいことなのかもしれない。

 怖い夢を見たらその話を誰かにすればいい、そうしたらその怖いものは、話を聴いた人に出るようになるからもう、その夢は見なくなるよ。
 僕が聞いた話はそうだった。でも、子供には言えなかった僕にはしっかりとその準備、怖い夢を克服する極意をいつの間にか身に着けていたのか。或いは僕自身がもっと怖い存在になったのか。どちらでもいい。子どものためなら。
 おわり

 この夢の話はオチこそ創作ですが、基本は実話です。矛盾というより不思議なことですが、親の体験って遺伝するのかしらね。娘がトマトが嫌いなのも、そのせいなのかしら。まぁ、あまりトマトとゾンビを同列に並べて、それこそ冷蔵庫にしまうようなことはしたくないものである。(伏線回収w)

 さて、このような話をいつ書くのかと言えば、家ではまず書かないですね。事務所に一人でいるときに合間を見て、或いは時間を作って書いています。すでにデスクに座っているのですぐに書き始められるから。
 昔は終末に近所の喫茶店(チェーン店ではない昔ながらの)に行って書いていましたが、今はやらないかな。その時はちょっとした連載を抱えていたので習慣づけをしていました。

 そして何より大事なきっかけは、こうしてお題をもらうことかな。自分の書きたいことみたいなのは、確かにあるのだけれども。これまであまりにも書き散らかしてきたので、そうした作品をしっかり今のスキルで書き直さなきゃならないというのがあって、今は新作を書くことは極端に減りました。
 例の8つ折り本がすごくいいきっかけになって、古い作品をブラッシュアップすることに最近は時間を費やしています。


 ということで、今回は素のめけめけがお送りしました!

 追伸
 アーシャのアトリエ、無事終わりました
 2週目をかじって、たぶん途中でやめて次のゲームに映るかな
 とても良策でした
 これもねるのおかげかな
 いずれまたアトリエシリーズはやってみようと思いますが、とりあえず先日購入したスパイダーマンをやる予定です!

今までの手紙のまとめ


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