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【心の解体新書】5.人はなぜ笑うのか(赤ちゃんと笑いの獲得)

【心の解体新書】は筆者が一年後(2025年夏)までに『人はなぜ幽霊を怖がるのか、人はなぜモノマネを笑うのか』というお題に対して答えていくための思考メモです。そのために
・人はなぜ心を持つようになったのか
・心の機能――身体と心の関係と心の役割
・人はなぜ笑うのか
・人はなぜ怖がるのか
・心と感情と知識の相関図
・心は鍛えられるのか
・共通認識と普遍性
・心の言語化と会話の役割
・幽霊をモノマネすると人は怖がるのか
・心の解体――計算可能な心と不確定要素
といったテーマを今後掘り下げていきます(改変、追加削除あり)

 人はくすぐられると笑います。

 時にはこんな拷問も……さておき、しかしこんな経験はないでしょうか。自分で自分をくすぐると平気。かのアリストテレスもこの問題を提起していたという話があります。
「なぜ私たちは自分自身をくすぐることができないのか、またくすぐりを予期したときに、よりくすぐったくなるのはなぜか?」

 これについてはごく最近までいろいろな研究がされてきたようです。脳の働きをトレースできるようになったのはそれほど昔の話ではないということです。簡単に説明するとくすぐるという行為を自分でやった場合、くすぐったいと感じる反応を抑制する働きが脳にはあるということ。これは人間に限らずラットの実験でも証明されています。興味のある方は「『Current Biology』に掲載されたラットを用いた研究」をご覧ください。

 さらに面白いのは他人のくすぐりと自分のくすぐり、両方同時にやったらどうなるかです。このくすぐりに反応する脳の領域はおそらく同時にそれを処理できないので自分のくすぐりを優先し、くすぐったさは抑制されるそうです。つまりくすぐりの拷問に対しては自分でくすぐれば対処できるかもしれません。

 さて、小さな子供と接するとき、コミュニケーションをとるにはやはりくすぐりがもっとも有効な手段だということはお判りいただけると思いますが、たとえば子供がゲームに夢中になっているときそれをやったら怒られます。場合によっては激昂されるでしょう。でもお互いにコミュニケーションをとる準備ができているとき、それは遊びになります。子供は大はしゃぎで笑い転げるでしょう。
 逆に言えばそうならなかったとき、その子供とのコミュニケーションにはなにか大きな障壁があると言えます。なんでもかんでも子供をくすぐればいいなどと思ってはいけません。
 つまりくすぐって楽しいはコミュニケーションの人が動物として獲得した、或いは人に進化する前から持っている本能と言えます。大人よりも子供、子供よりも赤ん坊のほうがその傾向、つまり本能的反応は顕著です。それを試そうといきなり大人をくすぐったりしたら悪くすれば警察事になるのでやめましょう。もちろん通りすがりの子供やベビーカーをスマホを見ながら推しているお母さんを無視して赤ん坊をくすぐるなどは完全にアウトです。
 赤ん坊をあやす鉄板はくすぐりといないいないばぁだということは周知の事実だと思います。また両親がするのと他人がするのでは赤ん坊の反応も違っています。つまり生まれ持ってのコミュニケーション能力ということになります。
 くすぐる、いないいないばで笑う。これは個人差こそありますが、生後3か月くらいから『微笑:Smile』をはじめ6か月から1年で『2.音笑:laugh(ter)』をするようになるそうです。

 これは本能的な笑いの「生理的微笑」から意思のある笑いの「社会的微笑」への変化を表すともいえます。

 ここで興味深いのは

赤ん坊は誰かが転ぶところを見るよりも、自分が転んだ時の方が笑いやすい傾向にあることや、周りの人が悲しい・不愉快・びっくりしている時よりも、周りの人が幸せな時の方が笑いやすいという傾向にあることがわかっています。また、女の子より男の子の方がわずかに笑いやすい、という結果も出ていますが、性別にかかわらず、母親と父親を見つけた時はどちらも同じくらい笑うそうです。

まだ言葉もわからない赤ちゃんが大声で笑うのはなぜ?

 ここでいう自分が転んだ時の方が笑いやすいというのは、人類が笑いを獲得した大きなヒントになり、この記事を書くきっかけになった神田の居酒屋でのやりとりにつながります。
 そのとき人はなぜ笑うのだろうかという問題提起の仮説として彼はこのようなことを話してくれました。

 人が笑いを獲得したのは、たとえば誰かが危険を察知して、危ないぞ!というサインを集団に出す。集団は身をかがめ、臨戦態勢に入ります。ところがそれが勘違いであったことに気が付いた時、大丈夫だ、ただの風だったようだとなったとき、臨戦態勢=緊張状態を解くために、笑みを浮かべ大きな声を出して笑うことで緊張からの解放と緩和をする術を身に着けた。それが『2.音笑:laugh(ter)』の獲得だという説が有力だ。

 赤ん坊は転んで痛かったり、驚いたときに泣きます。それはもう大きな声で鳴きます。ところが転ぶことになれる――はいはいからよちよち歩きの過程で転んでも痛くないときや周囲が心配するようなとき、大丈夫だからと自然と笑うようになるのではないか。それはつまり先の緊張の緩和のための社会的微笑の延長線上にあるのではないかと考えられます。

 逆に言えば笑いの極意とは緊張と緩和の緩急によってより大きな笑いが引き起こせる。これはお笑いでいう『キンカンの法則』にあたるわけですが、
なぜそうなのかといえば、社会的動物である哺乳類の多くが先のネズミのようにコミュニケーションにより笑いを獲得している進化系としての人が獲得した『2.音笑:laugh(ter)』という緊張と緩和による笑いの発生が根源にあると言えるわけです。

 赤ん坊の笑いの研究はサンプルを取るのが難しく、実際アンケートによる調査以上のことをするには様々な条件をクリアしなければなりませんので今後の研究がどれだけ進むかはわかりませんが、動物を使った笑いの実験は近年多くの成果を上げているようです。

 人間だけが笑うとしたアリストテレスの真意、微笑ではなく音笑は確かに人類固有のものであり、知能の発達した人間が心を獲得し、それによってより複雑な人同士のコミュニケーションを可能にした。考えてみれば文化も思想も言語も違う民族も笑顔が敵対の意思がないことは理解するのに難しくないでしょう。もちろん例外もないわけではありません。笑顔で近づいてくる見知らぬ人が、必ずしも友好的でないことは嫌な話ですが事実ですから。

 ここで笑いの話はいったん終わりにします。次回は怖い話。『なぜ人は怖がるか』を検証したいと思います。
 


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