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西新宿タワマン刺殺事件の真犯人

 最初にこの事件を取り上げるにあたり、筆者は事件の構図に対して考察、推理をすることに注力し、容疑者、被害者の個人に関する情報に関しては一切ふれずに極力、構造に関して言及しようと思います。つまりこの事件の真実や真理よりも世間に与えたインパクトについて述べていうことで、いま、この世界にある『危険』に対して警鐘まではいかなくとも、同じことが繰り返されないようになる、何かの助けになればと思います

 事件の概要については現時点での報道記事をもって省略します。

 さて、一見すると非常にレトロで陳腐な事件に観えます。女性の営業トークに騙された男が、逆恨みで相手を刺殺。

 そこにストーカー規制法違反というキーワードが入ります。警察は動いていたが犯行を止めることはできなかった。

 警察側に落ち度があったのかどうかという話が当初はあったと記憶しておりますが、筆者が受けたインパクトはむしろ容疑者が大事にしていた自動車とバイクを売ってお金を作ったという事実とそれに付随する報道。

 SNSで容疑者がいかに愛車を大事にしていたかということがすぐにわかるような記事がニュース映像で流れます。車やバイクにあまり関心がない筆者でも、この車種の人気はしっていたので余計に印象に残りました。

 そこから垣間見えた事件の構造は大事にしていた愛車を売ってまで女に言い寄って断られ、しかも何かの形で渡した金も回収できず、それを迫ったらストーカー規制法違反で逮捕。そして犯行時容疑者は叫びます。

 俺はストーカーじゃない

 警察に捕まった犯人は「相手の身体を傷つけようと思った」という趣旨の発言をしています。筆者には容疑者がどういう行動原理で犯行に至ったのか、容易に想像できました。そして容疑者に対して同情する声、とくに被害者女性とのやりとりがどうであったかとう報道がなされたあとには、そうした同情の声とそれに反論する声がSNSで話題にあがっている状況が続いています。

 若い女に騙されるほうが悪い、どんな事情にしても殺人は許されないなどの声がある一方で被害者の加害者に対するやりようは行き過ぎがあったのではという声もあり、善悪論で語るには、殺人という結果からは言うまでもなく、同情の余地はないものの、被害者女性からすれば、この事態はどうすれば避けられたのかということも考える必要があるのではないかという論点でいわゆるキャバ嬢に取材をしている記事もみられます。

 この事件を考察するに、11月に新宿歌舞伎町で起きたホスト殺人未遂事件や男性の恋愛感情を悪用して1億円以上の現金をだまし取った罪などに問われた25歳の女性のことも取り上げられています。

 その中でいわゆる頂き女子の記事では「趣味オジはやめておけ」や「一度は断れ」など、彼女が捕まりはしたものの、なんだか楽しそうというか、1億円以上の金額であるにも関わらず、五体満足でいられる理由はそういうところにあるのかと、ある意味関心させられました。

 さて、事件の構図は単純で仮に被害側に「結婚をほのめかせてお金をだまし取った」という事実が明らかになったとしても、彼女が殺されていい理由にはならない。それは法律で解決する話であって、容疑者がこのような犯行に至ったことは短絡的に見える。
 そこには先の「趣味オジはやめておけ」について完全に抵触してしまっていることに理由があるのか。確かに男性のそうしたこだわりや執着心に対する女性の理解は過去も現在も進んでいないのかもしれない。

 それだけならやはりこの事件は陳腐だ。これまで何度も繰り返されてきた避けられないもつれなのかもしれない。

 しかしながら筆者はすこし違うのではないかと考えている。

 ひとつはストーカー規制法違反という刑法が果たして機能しているのかという点である。

 今回、男女のもつれが、というかおそらく女と客という構図でのトラブルが殺人事件にまで発展したのには、容疑者の叫び声「俺はストーカーじゃない」という憤りが引き金になっているのは間違いない。だからといって警察の対応に大きな過失があったとも思えない。

 ここからは推測でしかないし、今後明かされることもないかもしれないが、以下の時系列から筆者に見えてくるものについて話したい。

 事件に至るまでの経緯

2021年11月と12月に約2000万円で売却
2021年12月
被害者から「店の客にしつこく言い寄られたり、待ち伏せされたりする」と110番通報
このとき被害女性は「お店を利用する前金として1000万円受け取った」と警察に説明
2022年5月
容疑は神奈川県警に「多額の金額を渡しているが返してもらえない」と相談しに行っている
同月に2回目のストーカー被害の通報があり容疑者は「ストーカー規制法違反」で逮捕

 金銭授受と通報のタイミング、そして容疑者が警察に相談にいった矢先の通報と逮捕を経て、容疑者は犯行に至っている。

 そのことから被害者が加害者を故意に貶めた可能性も考えられなくもない。しかしすでに被害者は帰らぬ人となってしまっているので裁判で明らかになることはないだろう。

 筆者はそうした可能性を考えるに、被害者が独自の判断でそれらを行っていたかどうかについて、そこまでしたたかな女性であれば、先の「頂き女子」のようにうまく買わせていたのではないかと推察する。
 であれば、被害者にはそうした才覚は乏しく、入れ知恵をした人物がいたのではないか。或いはネットで検索すればそういう方法はいくらでも乗っているということをレクチャーしたのか。いずれにしても間違った用法を被害者は用いてしまいこの結末に至ったのではないだろうかという疑問がどうしても拭えない。

 しかし一方で実際に店がストーカーが原因で店を閉めたという話もある。だとすればこれは筆者が考えるよりもよりシンプルな事件だったのかもしれない。

 狂気というのは、ただ凶器であるだけであり、理解することはできない

 売り上げの前受け金というのが事実であったとして、容疑者が店を出入り禁止となり、さらに彼の営業妨害が店を閉めるにいたる原因だと裁判などで明らかになれば、その前受け金は損害賠償として受け取ることも可能であっただろう。

 いずれにしても筆者が疑問に思うのは、この件に関して被害者の身近で相談に乗っていた人物が見えてこないことだ。逆に容疑者の行動は理解できる。容疑者は凶器となる刃物を2本用意し、相手を死に至らしめることよりも傷つけることに執着している。それは恨みの晴らし方としては合理的だと筆者は考える。恐ろしことだがそれは想像できる。

 しかし被害者の立場を想像することがなかなかできない。この事件にもしも「真相」というものがあるとするならば、それは被害者に一番近しい人物かまたは、被害者が信頼していた人物が知っているだろう「何か」ではないかと思う。

 その「何か」が明らかにされることはあまり期待はできないが、筆者の知る限り、ストーカー被害や迷惑な客がいた場合、被害者だけがそれに対応するというケースは少ない。

 金の切れ目が縁の切れ目

 この事件がそうしたレトロな私怨であるのか或いは構造的にまだ見えていない裏側や奥行きがあるのか。

 いずれにしても被害者の命は奪われ、その命を奪った容疑者は逮捕されている。これで収まってしまう可能性は極めて高いのではないだろうか。被害者の墓を暴くようなことは筆者も好まない。

 銀座のホステスから2軒の店を切りもみするオーナーママが店を閉め、ストーカーに殺害されるまでの間にいったいどんないきさつがあったのか。筆者はそれを知りうる人物が必ずいるのではないかと考えている。そしてそれが今後語られることもないだろう。
 そして語られないということが、この事件の真相であるような気がしてならない。それは現代の夜のビジネスの構造そのものなのか。いや、現代と言わず、ずっと繰り返されてきた食うものと食われるものの構図でしかないのか。筆者の関心はそこにこそある。

 逆に言えば「騙される奴が悪い」「殺人は擁護できない」「被害者もやりすぎ」「金を返していればこんなことにならなかった」というような話にはまるで興味がない。

 被害者が独立して店を出するにあたり、どういった人脈が関わり、同じく閉めるには何を決断しなければならないのか。そのなかで容疑者はどんなポジションだったのか。そうした構造を鑑みて前受金は返さなかったのか、返せなかったのか。
 容疑者は完全にストーカーとなってしまうラインを自らの意思で超えたのか、超えさせられたのか。まずは常識ある人間の行動原理をもとに疑問を感じる事象についてあれこれ考えることで、見えないものの影がわずかながら見えてくるかもしれない。
 その影、真犯人とは人ではないかもしれないと筆者は考えている。

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