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めけさんと呼ばれる人生について

僕の本名はややこしい

姓を架間といい、名を太陽といいます

”かま たいよう”ではなくこれで、”かけま ふとし”と読むのですから、僕は自己紹介するたびに、加えるの下に木という橋を架けるの”架”、十字架の”架”にあいだで架間、おひさまの太陽とかいて”ふとし”と読みます

これを何千回言ったことか……

さてSNSの時代、mixiなどやり始めたのは2000年代の前半だったか、その頃は”すてぃーぶん”なんてハンドルネームをつけていた

好きな作家スティーブン・キングと好きなゲーム『女神転生』に登場する車いすの男の名前から取ったのだけれど、これは正直定着しなかったというかなんというか

その後、紆余曲折あったのだけれど、アメブロのIDをとる時にかけま(kakema)のアナグラム的なものを考えてmakakeとしたのだけれども、これもしっくりこなかった

めけめけ誕生

ツイッターを始めたときには大好きな『スネークマンショー』というYMOが絡んだアルバムに収録されていた”メケメケ”という曲名がkakemaのアナグラムっぽかったので、MeQUe_MeQueとしたのだけれども、これがなんだかとても、しっくり来たんですよね

加藤和彦さんの歌声がすごく素敵でこのアルバムではドクター・ケスラー名義で歌ってらっしゃったのですが、この曲がシャンソンであること、美輪明宏さんの持ち歌であること、そして言葉の意味が”それがどうしたの?”だったこと、田中芳樹著の『銀河英雄伝説』に登場するアッテンボロー曰く『世界で最も強い言葉は”それがどうした”だ』というエピソードも相まって、僕はとても気に入っているし、”めけめけ”には運命的な出会いを感じたのでした

wikiによると
仏領マルティニークの原住民は、フランス語の「Mais, qu'est-ce que c'est?」(メケスクセ、「だけどそれがどうしたの?」の意)を訛って「Méqué méqué?」(メケメケ)と発音する、という話をアズナブールが耳にし、その語感の面白さに感化されてできたという

人格統合

さて、僕がどう気にいろうとも、周りがそれを認めてくれなければ、つまり、僕をめけめけとして扱ってくれなければ、めけめけとしての僕の存在は希薄なものになるのですが、ありがたいことにSNSで知り合った方々は、僕を”めけめけさん”或いは”めけさん”と親しげに読んでくれた

すでに何作か短編小説を”めけめけ”名義で投稿サイトに寄稿していた僕は、めけめけとして、架間太陽のもうひとうの人格として自他ともに認める存在になったわけですが、さて

”めけめけ”は架間太陽と言う人格にどんどん侵食していきます

それまで二児の父親であり、IT業界で働く管理職であった僕は、当時勤めていた会社の倒産を機にめけめけと架間太陽を統合することに決め、USTREAMなどのライブ配信に手を出して、顔出しで自らを”めけめけ”と名乗り、自分の番組の中でイベントをやったり、とうとう自分でバンドを組んでライブ活動や作曲活動を再開するようになりました

今や僕を架間さんと呼ぶ人の方が少ないくらい

僕は変わりました

めけめけになる前は、仕事と家庭しかなかったと言っても過言ではないかもしれないですが、今は寝る間を惜しんであれこれ動き回っている感じです

もしも勤めていた会社が存続していたら、僕が北海道や秋田や静岡、名古屋、大阪といった地方に出張で行くこともなかったでしょうし、SNSで知り合ったいろんな地方の人たちと直接会うようなことはなかったでしょう

僕は今、100歳まで生きたいって、本気で考えるようになりました

若い頃は定年して隠居するなら、それで人生終わってもいいくらいに思っていたのに不思議なものです

今、やりたいと思ったことを成し遂げるには残り10年や20年じゃ足りないなぁと思うこともそうですが、僕にはきっと、まだ出会えていない、”会いたい人”がこの世界のどこかで待っていてくれているんだってことを知ってしまった

まだ出会えていない”会いたい人”に会うために

死ねない

例えば僕の子供たちがどんな家族を作るのか

そこには、まだ会えていない会いたい人がいるに違いない
孫の顔を見たら、ひ孫まで見たくなるかはわかりませんが、僕があと30年生きていれば、5年後に生まれ、25歳で僕と出会う誰かとのめぐりあわせを体験できるかもしれないのです

そんな未来のことではなくても、僕がふらっと隣町に飲みに行けば、カウンターの隣にすごく素敵な女性が座っているかもしれない

ライブハウスに他のバンドを見に来た人と意気投合して新しいバンドを結成するかもしれない

仕事の合間、昼食を取りに訪れたファミレスの隣の席で話し込んでいるOLふたりの会話から、とんでもない小説のアイデアを貰えるかもしれない

めけさんと呼ばれる人生

架間太陽がパーソナルな存在であったとするのならめけめけはパブリックな存在であり、その二つが融合した”めけさん”として生きることは、まだ始まったばかり――つまり青春真っ盛りなわけで、自己顕示欲と好奇心という行動欲求=欲動と50年以上生きてきた中年男の佇まい=社会的責任をともなう行動規範が混ざり合った、ハイブリッドな魂の器になったのかもしれませんね

そんな大人になりました

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