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誤審という幽霊との闘い

 パリ・オリンピックに限らず、近代オリンピックにおいてスポーツ競技のルール改正、道具やユニフォームの規定はひとつには競技の公平性、ひとつにはスポーツとしてのゲーム性を高める(興行力の向上)、そして選手の安全性を高めるため、もうひとつはジャッジの公平性を高めるために行われる。

 柔道という競技が国際化されていく過程の中で様々なルール改正が行われてきた。それらの歴史をここで解説はしないが、それでもなお疑惑の判定や誤審という言葉はどの大会にも付きまとう。もちろん柔道に限らずであるが、スポーツ観戦が好きな筆者としては、前述のルール改正、VAR(ビデオ・アシスタント・レフリー)の導入などは基本的に肯定的だ。
 ただ、ここで大事なことは元来そのスポーツのもつ精神性とルールの運用方法に乖離が生じてしまうような改正はすべきではないし、オリンピックのような国際大会は必ずしもレフリーのスキルも担保されるものではない。なぜなら競技人口の多い国、人気スポーツが盛んな国と、そうでない国では選手の質以上にレフリーの質に大きな隔たりが発生してしまうし、運用上、それは避けられないからだ。

 今回のオリンピックでもいくつかの競技、いくつかの試合で物議をかもした「誤審疑惑」がある。柔道に関して筆者は十分な説明能力を有していないのでサッカーにまつわる誤審騒動について、その歴史や現時点での問題点について考えをまとめてみることにした。

 世界でもっとも有名な「誤審」は1986年、メキシコで開催されたサッカーワールドカップ準々決勝、イングランド対アルゼンチン戦。当時大人気だったスーパースターのFWディエゴ・マラドーナの俗にいう神の手ゴールだ。マラドーナといえば、イングランドディフェンスを5人ごぼう抜きにしたドリブルからのゴールがもっとも有名なプレイであるが、そのプレイの引き金になったのが、先制点となったヘディングシュートが実は頭ではなく左手でもたらされたものであったことだ。

サッカーダイジェスト

 もちろんサッカーにおいてフィールドプレイヤーが手でボールを触ることはルール違反。それを故意にやったとなれば場合によっては一発で退場になるプレイだ。このときマラドーナはゴール前でイングランドでフェンダーと空中のボールを競り合ったのであるが、マラドーナの身長は165センチと小柄であり、イングランド選手の平均身長をはるかに下回っていた。
 もちろんサッカーの空中での競り合いは身長がすべてではないが、有利不利でいえば、もちろん不利である。よくアルゼンチンではサッカーは手でするものだといわれているそうで、もちろん足の代わりに手を使えば反則になる。競り合いにおいてドリブルやヘディングの場面で手を使って相手の自由を奪い、身長やパワー、スピードの差を埋めること、ブラジルではマリーシア(ずる賢さ)といわれるある意味必須のプレイ技術のことを指しているのだが、マラドーナの『神の手』はそうしたプレイの一つであり、審判に気づかれないようにボールを手で触り、あたかもヘディングで決めたように見せるプレイが大一番で見事にはまった形となった。
 これにイングランド選手が抗議。しかしサッカーの場合一度下された判定が覆されることはこの当時はまずなかった。現在では副審に確認し、或いは副審が具申して判定が覆ることがあるし、VARが導入されていれば、これは間違いなくイエローカードもののプレイである。
 動揺したイングランドは気持ちの切り替えができないまま伝説の五人抜きゴールを許してしまうのだが、これだけ聞けばマラドーナのカリスマ性も疑われてしまう。では、マラドーナはペテン師であるのか。
 当時のサッカーのルールではボールにタックルに行けば、そのあとスパイクが相手選手を不幸にも傷つけてしまってもファールは取られなかったし、後ろからのタックルもそれは同様にファウルではなかった。実際マラドーナはすでに世界で注目される選手となっていたのでイングランドはマラドーナを徹底的にマークし、極端な話、ファウルでもいいからマラドーナを好きにさせないという守備をしていた。
 イングランドの激しいチャージ、それを超える今ではファウルどころかレッドカードが出るようなプレイで削られていたマラドーナは追い詰められ、ひとつの賭けに出た結果が神の手ゴールであったことを考えれば、どっちもどっち、やられたらやり返すフィールド上の戦争であったことがうかがえる。
 サッカーがビックビジネスになる過程で、有能な選手をけがで失わないために、サッカー協会、連盟がルール改正を行い、悪質なタックルをさせないようになったのはそのあとである。もしこのルール改正がもっと早く行われていたら、ペレやマラドーナはもっと長く現役で活躍できたかもしれないとは、サッカーファンの中でよく語られることである。もちろんファン・バステンはその他ヨーロッパのエースストライカーの名前もあがることがある。

 さて、サッカーのルールには「非紳士的行為」について罰則があるスポーツである。そのゲームをコントロールするのは主審の主観であり、両リームが暑くなって激しいプレイが増えてきたときには多めにファウルをとってクールダウンさせたり、微妙な判定を貸し借りのような形でわけあったりすることもある。人間は全知全能ではない。見えないものは予測で笛を吹くしかない。そこにビデオ判定が入ることに対してはずいぶん昔から議論がなされたが、SNSなどで疑惑の判定が写真や動画で拡散される昨今においては、導入せざるを得なかったというのは想像に易い。

サッカーワールドカップモスクワ大会でのVAR ROOM

 例えばゴールの判定はボールがゴールラインを完全に超えているかどうかで決まる。ギリギリンのところでGKがボールを掻きだした場合、ゴール前は混戦になっていてレフリーからの死角も増える。ゴールならそこでプレイは止まるが、ゴールでないとすればプレイは続行される。
 いちいちそれをVARで確認していたのではサッカーの躍動感が損なわれてしまう。またアディショナルタイム(かつてのロスタイム)は主審の「だいたいのプレイが止まっている時間の範囲」で決められていた。けが人など出たときには主審は時計そのものを止めるのが通常だが、通常のファウルやフリーキック、ボールがサイドライン、ゴールラインを割った程度のプレイオフのときにいちいち時計は止めない。
 現在ではその時間をかなりの精度で計算するものだから、アディショナルタイムが5分~8分くらいになるケースも増えてきた。昔は3分から5分が普通だった。

 もしホームチームがリードしている状態でアディショナルタイムが長いとうっかり同点、または逆転されてしまうかもしれない。だから主審は短めに時間を取るなどということは、まぁまぁあったものだし、お互いにそれをやっている分には結果的にイーブンであるので、その慣習はこれまで半ば「当たり前のこと」とされていたが、オリンピックや様々な国際大会での運用を公平化、公正化するためにはこのルール改正も時代の流れといえる。

 パリ・オリンピックサッカー女子、グループリーグ2戦目、なでしこジャパンはブラジルに0対1と負けていた。アディショナルタイムは9分。昔であればよくて5分といったところだったと思う。それだけを見れは、ルール改正が日本に有利に働いたと言えなくもない。
 VARに関しても、今回、男子サッカーはスペイン戦でVARによってゴールを取り消されたが、ワールドカップでは逆にVARによってゴールを認められた。

 しかし今回のスペイン戦で起きたことはそうした損得勘定ではなく、運、不運でもなくサッカーのルールの精神としてあれは正しいジャッジであったかどうかではないかと思う。
 「三笘の1ミリ」とは、VARによってこれまで微妙だった判定を1ミリの精度でボールがラインを割っているかどうか。それで得られる1点と得られない1点の重みは、人間では判断が困難な場面をまさに映像がアシストした形となり話題となった。

読売新聞オンライン

 そして今回の「細谷の1ミリ」は試合の流れの中で重要な1点を取り消した。ルールに従えばこれはオフサイドと言える。「と言える」というくらいに微妙な判定ではあるが、オフサイドというルールの精神からするとこれをオフサイドとしてしまうと、サッカーのプレイスタイルがかわってしまうのではないかという危惧が各方面から上がっている。

 オフサイドはいわゆる「待ち伏せ禁止」である。ゴールキーパーと1対1の状況は極めてオフェンスに有利だ。それをオフサイドというルールを設けることでディフェンスとゴールキーパの間にいるオフェンスの選手に対するパスができないようにしている。
 これを打ち破る攻撃がスルーパスという技術で、ボールをディフェンスラインの裏側に出すタイミングとオフェンスがディフェンスラインを超えるタイミングを合わせてオフサイドにならないようにする。これは現代サッカーの醍醐味であり、その駆け引きに観客は期待をしている。
 ディフェンスは逆にオフサイドトラップという戦術で相手がパスを出すタイミングを計ってディフェンスラインを上げる。これに引っかかるとオフサイドではなかったパスがオフサイドになってしまう。

 細谷のプレイは、こうしたオフサイドの駆け引きではなく、ディフェンダーとの1対1の駆け引き、ポストプレイとは相手のディフェンスを背負ってオフェンスがボールを受けて左右にボールを展開するか、フェイントと体の強さでディフェンスをかわすというどちらかと言うとフィジカルが強い選手の得意とするプレイだ。
 この場面、細谷のプレイは相手のディフェンスをかわして反転してシュートを打っている。これをゴールされてしまうというのはディフェンスとしてはかなり屈辱的なことであり、フォワードとディフェンスとの力の差があることを見せつけるプレイとなる。正直、あんなにきれいに決まるポストプレイからのゴールは見ることは少ない。スーパープレイと言ってもよい。

パリオリンピックサッカー男子日本対スペイン

 ある意味これはディフェンスのミスである。この態勢になってはいけないのだ。細谷の足は確かに出ているし、この態勢からディフェンスの裏に抜けてのシュートであれば間違いなくオフサイドだ。しかしこのあと細谷はディフェンスラインの前でボールを受けて振り向いてシュートをしている。

ヤフーニュース

 つまり足が出た行為はプレイの過程と結果に影響をしていない。ゆえに筆者はオフサイドではないと言いたい。言いたいがルールに照らせばこれはオフサイドと判定されても致し方がない。これを誤審とは言わない。
 主審のダハン・ベイダ氏は2018年からはFIFAの審判員となり、主にアフリカで開催される国際試合の審判を務めている。彼はまだ30代前半の若い審判であるが、この判定は誰が主審でもオフサイドであったかどうかは疑問である。若いからこそ、厳秘にルールに従って笛を吹いていたのかもしれないし、そこは議論の対象にすべきではないだろう。
 議論すべきはVARとオフサイドというルールの在り方であり、厳密化がすべて正しいのか、サッカーのルールの精神をもう一度考えるべきではないだろうか。

 ないかにつけて五輪と誤審は取り出さているが、そこにはトップアスリートに対して審判員の未熟さがあるものと思われる。各国の競技人口は人気や風習、風土、気候によって大きな差がある。特に柔道のような競技においては日本人の観客からすると、その判定には納得のいかないことも多いだろう。しかし、何もかも誤審というのも問題がある。
 五輪イコール誤審という印象はとても残念だと思うし、それは今後改善すべき点だとは思う。しかしネットのニュースでやたらと誤審と騒ぐのもいささか疑問がある。そこにひいきは存在しないと信じたいが、誤審、ひいきをと騒ぐよりも「この日は細谷の日ではなかった」という気の利いた言葉とともに、今後どうするべきか、どうあるべきかに目を向けて欲しい。

 ゴールを取り消された後の細谷は随所に力強いプレイをみせていたがゴールには至らなかった。つまり細谷はついていなかった。そのきっかけがあのゴールの取り消しだったとしても、それはサッカーに限らず、どんな競技、どんな人生にもあることなのである。
 そこを精神的に立て直す強さが必要だと、彼も前を向いている。0対3という結果はあの場面で1対1の同点で後半を迎えたら、お互いの戦術は変わっていただろうし、それを惜しむ気持ちはわかるし、筆者もその先の景色を見たかった。

 誤審という幽霊にまどわされることなく、スポーツを楽しみたい。

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