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【老前コラム】44歳と60歳前後がヤバいらしい件

 オンライン科学誌「ネイチャー・エイジング」によれば、人の老化は漸次進むのではなく、44歳、60歳前後の2期に加齢変化が集中するという研究結果が出たそうだ。

 これについては実感する人も多いのではないだろうか。そして日本人ならこのことを思い浮かべてしまうだろう。
 それは厄年である。

 厄年とは男女でことなり、一般的に男性は数え年で「25歳・42歳・61歳」、女性は「19歳・33歳・61歳」が本厄とされているのだが、上記研究結果と符合する点がある。厄年は平安の時代の書物には記載があるそうだが、果たして統計的な根拠があったかどうかはわからないし、当時の平均寿命を考えると61歳まで生きた人からサンプルを取ったとも考えにくい。

 ただ現代においても未だこの厄年というのが広く一般に認知されているのは、結果的に感覚としてそれぞれの年齢での体の変化に共通点があったからであろうことは想像できる。

 実際、自分が老眼になっていることに気づいたのは42歳を過ぎてからのことであるし、61歳になるにはまだ数年あるものの今のような活動が、そのくらいの年齢でできているとはとうてい想像がつかない。

 では、自分がいまどんな生活リズムで生きているかと言えば、夜の睡眠時間はかなり短くなってきている。そのぶん合間を見て昼寝をしている。一昔前は電車で移動するのに本を読んで過ごしたものだが、今はすぐに眠ってしまう。夜、お酒を飲む分には朝まで飲んでもけろっとしてはいるものの、61歳になったときはさすがにクラブで朝まで踊ってその朝に出勤なんてことはなかなかできなくなっているのではないだろうか。

 もうひとつ気がかりなのは集中力。こうして文章を書いていると時間も忘れて書き続けたりするのが、果たして61歳を超えてもできるのかどうか疑問である。
 であればこそ、今やれることを今のうちにやっておく、そして自分にしっかりと習慣づけていくということが大事になってくるのではないだろうか。

 小説を書き始めたころは、比較的夜にその作業をやっていたと記憶している。しかし、それはあまり効率出来ではないと気づき、出来る限り火の出ている時間に文章を書くようにしたのは50歳手前くらいであったろうか。食事に関しても飲んだ後のラーメンみたいなことは50歳を過ぎてからはあまりやらないようにしている。食べる量、取る水分量。そうしたことは少しずつ意識をして30代から40半ばまではカップラーメンで昼を済ますことも少なくなかったが、今では滅多に口にすることはない。

 とはいえ、今日は久しぶりにカップ麺を食べた。やはり旨いのだ。自分の好きな銘柄は。しかし、脳のどこかで満足度が足りていない。数種類のおかずとお米、それに汁物。これらを箸を使ってしっかり食べたときの充実感とは大袈裟だが、食事にある程度手間をかけたという小さな満足感や達成感が欠けているのだと思う。

 60歳までに自分がこの先10年、つまり70歳までどう生きるのかという習慣づけをすることで、自分の老いという変化に対して気づきと修正によって適応ができたのであれば、これをしっかりと乗り越え更に先の10年に繋がるのかもしれない。

 この先当たり前に栄養の吸収力は低下していく。これは加齢による腸内細菌の変化が関係しているのかもしれない。今まで以上に食事はしっかりととらないと体力を維持できないのだろう。多少の偏食もどこかで帳尻を合わせるなどということができなくなると思われ、バランスの良い食事、そして食べているという行為がしっかり脳に伝わるように手間と時間をかける必要があるだろう。

 筋力も衰え息も上がる。ならば今のうちに関節の可動域をある程度維持できるようなストレッチや一日の歩く量も、より平均してならすようにした方がいいのだろう。過度な運動による筋肉組織の破壊はかえってリスクのほうが大きくなるのかもしれない。

 そして睡眠環境は一度見直すべきだろうと思う。今使っている枕や布団が今の身体にマッチしたものであるのか。代謝は落ちて汗をかく量も減ってくるのだろうし、より願えりが打ちやすい寝具があるのなら、それに変えるべきなのだと思う。

 そして何よりも大事なこと。それは声を出して一日一回以上笑うこと。微笑でも愛想笑いでもなく、腹の底から笑えるとは言えないまでも、しっかりと声を出して笑うことで免疫力はあがり、ストレスも解消される。

 笑う門に福来る

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