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【心の解体新書】4.人はなぜ笑うのか(笑いの分析)

【心の解体新書】は筆者が一年後(2025年夏)までに『人はなぜ幽霊を怖がるのか、人はなぜモノマネを笑うのか』というお題に対して答えていくための思考メモです。そのために
・人はなぜ心を持つようになったのか
・心の機能――身体と心の関係と心の役割
・人はなぜ笑うのか
・人はなぜ怖がるのか
・心と感情と知識の相関図
・心は鍛えられるのか
・共通認識と普遍性
・心の言語化と会話の役割
・幽霊をモノマネすると人は怖がるのか
・心の解体――計算可能な心と不確定要素
といったテーマを今後掘り下げていきます(改変、追加削除あり)


 おはようございますと挨拶されて笑う人はいない。しかし、挨拶をした人が例えば珍妙な格好をしていたり、晴れているのにずぶ濡れだったりすると一気に笑いが起きる。さて、なにが人を笑わせているのだろうか。

 記憶によればこれは昭和を代表するバラエティ番組のコントの枕であるが、大昔のことなので脚色してご紹介しよう。
 季節は夏、暑さにうんざりしながら事務所に一人一人登場する。まず暑い、暑いと普通のリアクションで一人が現れ席に着く。手に扇子を持って仰ぐ。次に暑い、暑いとまた一人入ってくる。右手に扇子、左手にうちわ、両手がふさがっているので手提げかばんの持ち手を額に引っ掛けて登場。この時点で笑いが起きる。なぜなら気持ちはわかるがそんなみっともない恰好をして歩くことは普通できないからだ。普通じゃないから笑う。
 もちろんそこには突っ込みが入る。「なんだその恰好は!」登場したとき以上の笑いが起きる。これは笑う側である観客が「その恰好はおかしい」という共通認識をある程度確認しあえたから起きる「笑いのツボの協調」が出来上がったからだ。観客は期待する。次はどんな格好で現れるのかと。
「うわぁー。もう、暑いの暑くないの」と扉の向こうから声がする。観客の期待が高まる。そこに現れたのは普通のスーツ姿のサラリーマンだが、晴れだというのにずぶ濡れだ。
「どうした、そんなずぶ濡れになって」
「もう汗が滝のように流れて」
「そんなわけあるか!」

 笑ってもらえたかな? 観客の笑い声が聞こえてくれたらうれしいけど正直文章で人を笑わすのは得意ではないでの自信はないのですが、伝わってくれたと信じて次に。
 わかる人にはわかったかな。これはおなじみザ・ドリフターズのコントの流れを筆者なりにアレンジしてみました。

 面白いのは筆者は子供の頃、このサラリーマンコントはあまり好きじゃなかったことだ。あまり笑えなかった。やはり好きなのはすぐ学校で真似ができる教室コント、たらいが落ちてきたり、幽霊がでる家庭コント、火事になったことで有名な探検隊コントだった。
 理由は簡単で子供はサラリーマンの事務所の人間関係やあるあるネタを普通は知らない。父が工場で働いていたこともあってスーツにネクタイというのはなじみがなかった。
 逆にあの有名な先生から「これわかる人」と言われて加藤茶が「はーい、はーい、はーい」と手を挙げていかりや長介に「はい、じゃあ加藤」と指名された瞬間に「わかりません」というのは今ではあまり笑えないが、子供の頃にはそれは絶対にリアルではタブーだということが分かっているからこそ、毎回同じことをやられても大笑いしてしまったのだ。
 ではなぜ、今、笑えないのか。それは自分が大人であり、子供からおちょくられているように感じてしまうからだと思う。

 さて、笑うということをしっかり分析してくれているサイトがあるのでそれを参考にしながら笑う仕組みについて考えてみよう。

 冒頭「ヘラクレイトスは泣き、デモクリトスは笑った」とあるが、そのまま大人の自分と子供の自分と置き換えてもらっていい。大人は泣き、子供は笑うと読み解いてくれたらここまでしてきた話とつながりが見えてくると思う。

 笑う仕組みは

人間の行動は一般に、【刺激⇒情報処理⇒反応】という構造になっているが、その観点からみると、笑いの構造は(A)笑いを引き起こす「笑い刺激」⇒(B)入力された刺激情報を「笑え!」という運動情報へと加工して出力する「笑いの脳内処理」⇒(C)筋肉を中心とする身体内の諸部位を活動させて生じる「笑いの身体運動」と分析できる。

関西大学人間健康学部教授 森下 伸也(もりした しんや)

としている。それほど理解に難しくないと思う。お箸が転がったという笑う刺激になるのなら脳は反射で笑えと身体に命令し、声を出して笑ったり、クスっと笑ったりする。そしてこの(B)の脳の作用についてはいまだに有力な研究結果が得られていないとしている。それほどなぜ笑うかは仕組みとして難しく、それでも人は笑うのである。

 つぎに「人間が持つ2つの笑い『微笑』と『音笑』」の中ではアリストテレスが「人間だけが笑う動物である」としていたが進化論のダーウィンが霊長類は笑うと反論している。しかし教授が指摘の通り、この笑うとはコミュニケーション、強いては「君と遊んでいる、遊んで楽しい、だから笑う。だから敵対はしていないよ」と相手や周りに伝える生存目的手段としての笑いであり、人間のように娯楽を楽しむ笑いではない。
 そのうえで『微笑:Smile』『2.音笑:laugh(ter)』について前者を「その表情が敵対心のなさ、機嫌のよさ、親密感、好意、満足感─などの記号」とし、後者を『微笑:Smile』の延長上に音笑があるとしながらも、なぜなぜ呼吸器系に集中してエネルギー放出を起こす(すなわち大声で涙を流しながら足をバタバタさせて大げさに笑う仕草)のかはわからないとしているが、音笑は過剰な神経興奮から生命を保護するためのホメオスタシス機構(ー恒常性維持のためのホルモン分泌調節機構)の働きとしている。つまり生命維持に貢献する行為と理解していいのだと思う。

 しかしここまで書いてきて、笑いを紐解く作業はまったく笑えない。笑えないからこそにやけてしまう。それがユーモアということなのだと思う。『ユーモアとは何か「想定外」を笑って楽しめる状態』の中で以下のように笑いの分類をしている。

公益財団法人長寿科学振興財団「健康長寿ネット」より

 理解に難しくないと思う。つまり、筆者が先に示した笑いの例としてのコントシナリオは、見る人、聴く人、読む人によってこれらのどれかの笑いをする(笑わない人がいないとは言えない)。そして筆者が思うにドリフがやるから笑えるのであって、たとえば上場企業の役員さんがこのコントをやったとしたら(それも筆者は面白いと思うが)たぶん、笑えないのだ。どちらかと言えば怖いという話になると思う。

 このサイトではこのように笑いを分析し、人間の健康に笑うことはいいということを伝え、それが科学的に証明される日もそう遠くないとしています。それについてはそうあってほしいと思うし、年配の元気な方は実際よく笑われていると筆者は観察しています。

 笑いがビジネスになったのは何も最近の話ではなく、古代でも喜劇というのは演じられていましたし、笑いに福ありというのは経験則上間違いないし、どんな苦しい時代にも笑いがなくなることはないでしょう。それは人が笑わずにはいられない生き物だからなのか、或いは産業革命以降に急激に娯楽が広がったこと生存率が上がったことを鑑みると、人類文明の発展に笑いは不可欠なものであったのかもしれません。

 今回はここまでとして、次回はどうやってこの『笑う』という福音を人類は得たのかという話をしたいと思います


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