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私の頭の中を巡るインドの貧困問題と本音

私はインドが大好きで、本当にいろんな人に親切にしてもらいながら旅をしているので、もっと沢山の人にインドのことを好きになって欲しいと思いnoteを書いています。

旅をしていて出会った人たちは本当に優しくて、嫌な思いをしたことがないことは本当です。しかし、どの国も良い面もあれば悪い面もあります。これは当然のことです。

私がインドにいて毎日心を痛めることは、貧困、貧富の差です。ほぼ毎日、物乞いにあいます。小さな子どもからお年寄りまで、老若男女、性別年代関係なくいろんな人からお金や食べ物を求められます。10ルピー程を渡している人はたまに見かけますが、正直一度渡したらきりがありません。

以前カンボジアである少年に出会いました。彼は両親が居らず、学校にも行けず、河川敷で暮らしていると言うのです。とても悲しそうな彼の顔を見て、物乞いには何も渡さない主義の私もいたたまれず、フルーツと彼が欲しいといったコーラを買い彼に渡しました。しばらく河川敷で話していると、その少年より少し年上の少女がやってきて、お金を要求されました。拒否すると、マリファナを見せてきたので急いで立ち去りました。少し離れた場所から河川敷を覗いたら、さっきまで悲しげな顔をしていた少年がふんぞり返ってタバコを吸っていました。

後から宿のスタッフに、あそこにいる子どもたちは親がいるし、学校にも行っていると言われました。物乞いで得たお金で薬やタバコを買っているから、お金を渡してはいけないとも言われました。

初めは彼から聞いた彼の境遇に心を痛め、それが嘘だったとわかったあとは、あんなに小さい子が人を騙し、たばこや薬に溺れてしまう現実に涙を流したのでした。(その時、私もまだ若かったのです)

それから、わたしはより一層、物乞いには何も渡さないと考えるようになりました。わたしは特に決まった宗教を信仰しているわけでもないので、来生のために徳を積むといった考えもありません。

ただ、自分にできる事は何かしたいという気持ちはいつでもあります。

本当に困っている人が、本当に助かる適切なことしたい。

*バクシーンを否定する意図は一切ありません

わたしはもともと教育専攻で、特に国際教育協力に関心がありました。青年海外協力隊にも応募しましたが、まさかの健康診断で引っかかり、夢は叶いませんでした。(そのおかげで得られた違う出会いや経験があるので、今となっては結果オーライです) 教育の力を本当に信じていて、時間はかかるものの、その場しのぎではない支援ができるのが教育だと思っています。 

路上で暮らす子どもたちに、少なくとも読み書き計算を教えたい。できれば、道徳的な面の教育も携わりたい。路上で生まれ育ち、沢山の人に邪険に扱われながら路上で人生を終える、そんな人たちに何か選択肢を与えることができたら、、人から大切にされているという気持ちや、自分にも可能性があるという希望を子どもたちが抱くことができたら、、そんなことが頭をぐるぐる巡ります。また、親にも子どもたちにとって教育がいかに大切か、教育が貧困の連鎖を断切る鍵であることをわかってもらいたい。(その日暮らしの労働力がなくなる分、多少の物資支援も必要にはなるかと)

海外の教育を考える際に、切っても切り離せない宗教の問題もあります。時にその国の人々の価値観、ものの考え方に根強く関係している宗教の教え。インドならインドの人たちの信仰や伝統文化を尊重しながら、インドの色を残しながら、貧困層の底上げをし、貧富の差を解決するのは本当に一筋縄ではいかないことだと痛感します。子どもたちが教育を受けられたとしても、雇用先を生み出せなければ貧困の連鎖はたちきれません。雇用問題。。

とにかく私の頭はパンク状態です。

ここまでだけだと、なんだか聖女のような私ですが、そんなことは全くないから余計に頭の中は忙しいのです。

もし私が独り身だったら、きっとインドへ移住し、勉強しながらできることを手探りで進めていたと思います。しかし、今は結婚していて、近い将来自分の子どもを授かりたいと思っています。教育の力を信じているからこそ、自分の子どもにはできるだけいい教育を受けさせて、沢山の選択肢の中から、子ども自身の意志で好きな道を選んで欲しい、そう思っています。そのためには、お金も、整った教育環境も必要です。結局は、利己主義で、自分や自分の家族が第一になり、上記の頭の中で巡る想いの実現は難しいのです。そしてまた自己嫌悪に陥ったり、、。

わたしは結構お喋りなのですが、そのお喋りな私が話していることの倍以上のことが頭の中では渦巻いています。

この一連の流れを夫に伝えました。こんなふうに思って、モヤモヤしているんだと。

夫は、

確かに今インドで何かをするというのは難しい。でも、将来自分の子どもたちが成人し、巣立った後なら、第二の人生をインドの子どもたちとともに過ごすのは一つの選択肢だと思うよ。

と言ってくれました。頭ごなしに否定だけするのではなく、現実を考慮しながらも、どうすれば私の想いを実現できるか考えてくれた夫の返答によって、私の気持ちは少し落ち着きました。

実際ご自身の人生を捧げて国際協力に勤しんでいる方々には本当に頭が下がります。

しかし、私は、聖女のように私利私欲を完全に捨てることはやはりできません。ただ、そんな私でも、私のライフステージにあったできることはきっとあると思います。もっと勉強して、その時々で自分のできることをみつけ、実行していこう。

今は、それが私の中で落ち着いた結論でした。

なんだか尻すぼみに終わった長い記事を読んで下さりありがとうございました。

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