見出し画像

今、自分の真ん中を感じて生きよう

8月6日 朝8時15分

今日は、忘れずに黙とうできた

5年前まで46年間広島に住んでいたので
この日のこの時間はサイレンがなり
黙とうするのが当たり前だった

日本全国なんだと思っていたら
名古屋では鳴らず
過ぎてからあーとなることが何年か続き
残念な自分がいた

今年はタイマーをセットし
8時14分からスタンバった

・・・が
何を祈るんだっけと疑問がわいた

亡くなられた方に?
広島復興を頑張ってこられた方に?

人は死ぬし
ひとはそれぞれ頑張っているよね。。。

改めてこの日この時を
共に祈りたいと思う私は
何を祈りたいんだろう?
何を感じたいんだろう?
何で一緒に祈れなかった時間を
残念におもったんだろう?

いろんな思い出が押し寄せてくる

記憶にはないけど
私の広島1枚目の写真は平和公園でのもの
私の2歳の誕生日に広島に引っ越してきた

その後も平和公園は
フラワーフェスティバルや
平和学習
他県からの知人を連れていく
折り鶴を持っていく
通勤経路
と生活の中にいつも存在している場所だった

たくさんの方がなくなった場所なのに
不思議と心地よい空間だった

誰かから、
たくさんの方が祈りを捧げた場所なので
あたたかい場所になっていると
聞いて納得したな

原爆ドームの横にある橋は
相生橋
あいがうまれる場所なんだよって

原爆が投下されたことは
とても悲しく悲惨なことだけど
宇宙からみるとほんとうに小さな出来事

原爆を落とした人は
苦しんだかもしれないし
喜んだかもしれない
原爆を受けて
亡くなられた方も
生きた方もいる
原爆が落ちて
悲しんだ人もいて
良かったと思う人もいたかもしれない

一方向からでは人の本当の気持ちなんて見えない
世の中そんなことばかり
みんな違ってそれでいい

人は周りから見たら失敗に見えるかもしれないけど
その時その瞬間できることを
精いっぱいやっている
という言葉がが浮かんでくる

原爆を落とした人も
その時その瞬間
原爆を落とすことが
その人の精いっぱいだった

原爆が落ちて
亡くなられた方
やけどを負いながらも
生き続けた方
目の前で多くの人が死んでいるのを見ながら
生きた方

肉体はいつか死ぬ

それは、前触れなく
突然かもしれないし
余命がわかるものかもしれない

でも、確実に死ぬ

そのいつかわからない
自分の肉体の最後の時までを
どう過ごすか
どう生きるか

周りの常識に縛られて生きるのも
親の顔色をうかがいながら生きるのも
それが自分のやりたいことならやったらいい

わたしはそれをやりたくないからやない

と数年前までの私は思ってたなって
今振り返ると思う

やりたくないからではなく
自分がやりたいことにフォーカスするだけなんだと
気づいている自分にきづけた

原爆の日
黙とうをしようとおもってきづいたこと

『死』をイメージすることで
『生』を感じさせてもらった

ありがたい

今まで生まれてお亡くなりになられた
全ての方に
ありがとうございます

わたしは、肉体が尽きるまで
自分を感じ
自分を満たして生きていきます

2024年8月6日





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?