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ゼロから始めるアイルランド日記~43~49日目(パン・オ・ショコラとコーヒープレス)(強さとは何か)

アイルランドのロックダウン生活も3週間が経ち、折り返し地点。残り3週間となりました。順調に感染者数は減っていますが、感覚的にはまだまだ油断ならないと感じています。

今週も特に外出することはなく、大きなイベントごともありませんでしたが、毎日料理を作ったり、オーナーさんに教えてもらって人生初、コーヒープレスでコーヒーを飲めるようになったり、少しずつできることが増えてきています。なので休日にはブランチで食べるものに変化をつけてみるのもありかな、と思い、平日は毎日ナッツとフルーツとヨーグルトを混ぜて食べているのですが、休日はパン・オ・ショコラにしてみたり、今週末はパンケーキを作ってみました。これが存外、おいしい。自分で作ったものに毎日感動しております。ちなみに先週はおやつにラスクを作ってみたりと、お菓子も少しずつ作れるようになってきました。目指せ、料理男子!

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「できること」と言えば、運動です。ロックダウンの中でも運動したりはできるので散歩に出かけたり、家の中でVRゲームのbeat saberという音ゲーで運動しているのですが、かれこれ3カ月以上クリアできない楽曲があります。

はじめは絶対にできないと思っていたのですが、速度を遅くしたりして練習しているうちに少しずつですが、前に進んでいてできるようになってきました。一曲フルで通すとまだできないのですが、部分ではできるのでもう少しという感じです。思えばこれは楽器をやっていた時にもやっていた練習方法でした。半分の速度から始め、少しずつ早くして指を動かせるようにしていく。音楽では基本的な練習方法ですが、やはりこれは音ゲーでも当てはまりますね。

で、なぜこの話をしたかというと、人はいきなり強くはなれない、いきなりできるようにはならない、ということです。

「何をそんな当たり前のことを」と思うかもしれませんが、そのことへの意識をしていない時、「自分にはできない」と直感的に感じてしまう傾向を人は持っているのではないでしょうか。当たり前のことほど難しいものですからね。

鬼滅の刃で語られる強さとは

日本では鬼滅の刃が大大大ブームで映画を観に行きたいのですがいまは行けないので、腹いせにkindleで無限列車編の巻を買って読んでいました。すると、煉獄さんがこのような言葉を残していました。

己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと
心を燃やせ
歯を喰いしばって前を向け
君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない
共に寄り添って悲しんではくれない

僕が大好きな言葉です。炭次郎も「ひとはいきなり強くなることはできない」と言っていました。

いきなり英語を話せるようにもならないし、いきなりプログラミングをかけるようにもならないのですが、「才能ある人はできるのだ」、「自分にはできる気が全くしない」と錯覚してしまったり、できない理由にしてしまうことが往々にしてあります。でもどんな人でも多少の差はあれど努力して身に着けているに違いないのですよね。(向き不向きもあると思います。)


また、煉獄さんは炭次郎のことで「この少年は弱くない、侮辱するな」「強さというのは肉体に対してのみ使う言葉ではない」ということを言っていました。

長年、強さとは何かについて考えていましたが、ずっとわかりませんでしたが、ある論文を読んでいてそのことについてわかってきたので、言語化しておこうと思います。

強さとは何か

それはこちらの論文に書いていました(1)

簡単にまとめると、

「人にとって,強い」こと,人として「強い」こととは,妄心(本質的でない心の動き)に負けず、本心(本当の心・本来の心)を貫ける,無心の境地に立ち続けられる,ということである.

妄心とは「面倒くさい」だったり「練習がきつくて逃げだしたい」だったり「眠い」「帰りたい」など、こういった自分の行っている行為から生まれる時に生じる、それ以外の感情のこと


そして、その妄心に負けず、自分の意志や想いを貫ける人が、本当に強い人だと述べられていました。


時にはその妄心に負けてしまったり、だめかもしれないと思ってしまうことは誰にでもあります。それでも、くじけながらも前を向いて、自分の成し遂げるべきことを成し遂げようとする者が本当に強い人なのではないでしょうか。

だから煉獄さんは、炭次郎のことを「この少年は弱くない」と言ったのだと思うのです。※勝手な考察です(笑)

心理学をやっている人は「グリット」や「レジリエンス」という表現に近いものを感じるかもしれませんが、これとは少し違います。一番の違いは「無心」です。レジリエンスやグリットには「無心」の考え方は含まれていません。無心とは妄心がない心の状態のことをといいます。

この無心の状態は、まさにその行為と一体となっている感覚、フロー体験は無心の一種だと別の論文では述べられていました。

鬼滅の刃でこれほど呼吸法が扱われているのは、この呼吸法が無心を身に着けるための方法のひとつだからではないでしょうか。

これの理解を深めるためにもうひとつ、「真剣」についてお話しましょう。なぜ、真剣というかご存知でしょうか。

真剣とは、「真に剣」である状態を指します。つまり、「剣しかない状態」なのです。剣以外に不純なもの、余計な気持ちがない状態なのです。

「真剣」を用いた立ち合いにおいて、真剣な状態でない者はすぐに切られて殺されてしまいます。

その様子を表したのが「真剣」なのです。つまりは自分自身が真剣となり、「剣の型」と一体になっている状態。

だから剣技には型があり、呼吸があるのではないでしょうか。

これはレジリエンスやグリットには含まれていません。だから折れても立ち直る心、やり抜く力とも少し違います。どちらかというとマインドフルネスの方が近いですね。

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生きていると、自分の力の無さ、達成できないこと、誰かの心を支えられなかったり、寄り添えないことがあると、自分への不甲斐なさ、自分の無力さを感じます。長年強くなりたいと思っていましたが、具体的に強さとは何かわからなかったので、なかなか掴めませんでしたが、少しわかってきました。わかったからと言って、この境地にいたれるか、というとまた別の話だとは思いますが。

肉体的にも精神的にも、突然に強くなることはできない。だから毎日、少しずつ、本当に少しずつでいいから、できることを増やしていくしかないのです。

煉獄さんは、「呼吸を極めれば何でもできるわけではないが、昨日の自分より確実に強い自分になれる」と言っていました。この言葉を信じて毎日呼吸にも取り組んでいます。

毎日の生活は急に大きく変わったりしません。ロックダウンの中ならなおさら。でも、毎日少しずつやっていることがあるとしたら、確実に少しずつ前に進んでいるのです。

昨日はパイナップルを裁けるようになったし、今日はパンケーキも作れるようになりました。パン・オ・ショコラとコーヒーのセットを見るたびに、私は自分がコーヒープレスをできるようになった日のことをきっと思い出すでしょう。

できないことばかりだけど、自分の心を燃やして前に進んでいきたいと思う休日のカフェタイムでした。


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リラックスできる休日って最高です。YouTubeでCafe Musicを流しながらパンケーキを食べて、ブログを書いたり読書できるって本当に気持ちが良い、ゆったりできるのです。こうした心の休息を取ることは本当に大切なこと。どうか皆さんも理想の休日を過ごせますように。それでは。

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