なぜ?怒られると「真っ白」になってしまうのだろうか?交流分析のドライバーから考えた。
恥ずかしい話だけど、怒りの感情に弱い。けっこう面倒くさい人にも対応できるコミュニケーションスキルはあるのだが、怒り出すと無理。
怒られるのに弱い
が~っと相手が怒りだすと、固まってしまう。接客をやっていた時に、すごい怒るおばさんとか、怖い社長さんとかがいて、本当に苦手だったなぁと思いだした。いきなり怒られると「真っ白」になってしまう。
怒鳴られまくっていても、それが10分くらい続くと、さすがに冷静になって腹立ってくるんだけど、不意打ちの時はダメなんだ。何も考えられなくなって、息が浅くなってしまう。
昨日の夢を見てから考えていた。
簡易で行えるロールシャッハテストの本があって、このテストでも、そういう傾向が出ていた。
私の場合、相手が感情を爆発させると、どうも冷静な思考で対処できない傾向にあるようだった。だからカウンセラーには向いていない。選ばなくてよかった職業だった。当たっていると思う。
交流分析で分析してみた
交流分析のエゴグラムで自分自身の特性を書いてみると、間違いなく突出しているのが「AC」だ。まあ、メンタルが弱い人はだいたいACが高いようだ。人のことを気にしすぎる傾向なのだろう。
過去に書いたエゴグラムだ(過去記事)。毎回、結果は違うのだけれど、変わらないのは、NPとACの高さ。特にACは確実に高い。人の顔色を気にしすぎる傾向が高いので、怒られると狼狽するのだろう。
ACが高い根っこをたどると、おそらく「ドライバー」の存在にたどり着く(交流分析の言う「ドライバー」とは>参考記事)。
ドライバーの中でも「人を喜ばせよ」という命令が強いらしい。どんなことがあっても、人を喜ばせないと、自分はImOKにならないのだ。相手が誰であろうと、どんな理不尽であろうと、喜ばせていないとしたら、自分はダメだという刷り込み。
「人を喜ばせよ」というドライバーを解除するには「自分を大切にしてもよい」「自分を優先してもよい」という新たな命令を自分自身に納得させていく必要があるようだ。
確かに、自分にとって大切な人(家族・上司・取引先)を喜ばせる必要があるのは当然だけれど、通行人やらクレーマーやら関係のない人を喜ばせる必要はない。自分にとって、関係性の薄い人が怒っていても「あっそ~♪」と流せるとベストなのだ。
まとめ:FCを高めてみよう
まあ、頭でわかっても、これを実践するのは難しい。ただ、交流分析で言う性格ってのは、結局、行動パターンでしかない。私の場合はACの行動パターンを身に着けてしまっているのだから、FCの行動パターンを再学習すれば自分を変えることは可能。
つまりは、ちょっとは傍若無人になるってことだろう。自分にとって、大切な存在でないと頭で判断した人には、特に喜ばせようってのをやめてみようかな!?(う~~~~、これを書いただけで罪悪感がある。おそるべきドライバーじゃん)
大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq)