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どこでも、誰からでも学べる人になりたい。大切なのは学ぼうとする意欲。

「ここでは、もう学べない」「目指すべきすごい人は、ここにはいない」

3年目の社員がよく言う言葉らしい。そんな本を読んで、昔のことを思い出した。自分も言っていたような気がした。もっと、自分を活かせる場所へ。もっと、可能性を伸ばせる場所へ。場所さえ変われば、自分の才能が開花する。そんな気持ちになっていた時がある。

正直に認めれば、仕事にも余裕が出て、上司からも認められるようになり、天狗になっていたのだろう。

場(会社・環境)を変えて、どんどん出世して年収も立場も変われば、実のある成長を遂げていくのだろうか。残念ながらそうではない。どんな場所・人からでも学ぶことができる人は、そこで、コツコツ実力を蓄えていく。そして、やがては押しも押されぬ本物として、世に出てくることになる。野村監督は、まさにそのような人ではないか。

どんな「場」からでも学べる

プロ野球選手としての、野村克也氏のキャリアは決して、華々しいスタートではなかった。南海ホークスのテスト生からプロでの大活躍をする(戦後初の三冠王)。その背後には、血のにじむようなデータ分析の努力があった。現役を引退してからも、決して華々しく監督になったわけではないのだ。まさに、地道にコツコツ型の成功者だった。そんなノムさんのコメントには重みがあるだろう。

とにかく「今の場所」を変えたいという、自分の甘ったれた根性をたたきなおしてくれる言葉である。

「私はプロ野球の監督としては、南海、ヤクルト、阪神、楽天の4球団を経験している。プロ野球以外では、社会人野球「シダックス」や、シニア・リトルリーグ「港東ムース」の監督をつとめたこともある。プロ野球の監督に比べれば、社会人野球や少年野球の監督は下のように思われるかもしれない。 だが、社会人野球や少年野球でも、人を育てる難しさは変わらないし、学ぶことはたくさんある。」
「きっと、あなたが仕事をするステージや内容もその時々で変わることがあるだろう。大切なのは、世間の目から見た「上下」の評価に惑わされないことだ。向上しよう、学ぼうという意欲さえあれば、どんな場からも得られることはたくさんある。」

どこでも学べるというのが教訓だ。

社会人野球では4番も補欠も、みな同じ給料なのに、一生懸命に野球に取り組んでいる。野村監督は、ここで、お金ではない野球の楽しさを知った。少年野球では、選手を信じることの大切さを学ぶ。どの場所でも一生懸命に学んできたことが、後になって活かされるようになる。

プロ野球と比べると、社会人野球や少年野球は侮られるかもしれない。脚光は当たらない。しかし、そこでも学ぼうという気概があれば学べるのだ。有名大学出身かどうかが大事なことではない。有名企業に勤めているかどうかが大事なことではない。

自分の置かれた場所で、いかに学ぼうとするかだ。今だってそうなのだ。

誰からでも学べる

この教訓を敷衍するなら「場」だけではなく「人」からも学べる人になるべきだろう。思い返すと恥ずかしいが、過去には上司と衝突ばかりしていた。また、社内では学ぶ人がいないと考えていた。親身になってくれていた先輩も、心の中ではバカにしていたように思う。人をなめ切っていたのだ。(これが若さなのか・・・今は、自分が若者にそう思われているな(涙))

コンサルタントの小笹氏の言葉が響く。

「学ぶ人がいない、ということは、「周囲のなかで自分が一番」と言っているていることにほかなりません。自分が一番と思った瞬間に、成長しようという意欲を手放していることになります。」
「これは経験的な実感ですが、全人格的に嫌いな人もいなくなります。いろんな側面から光を当ててみると、どんなに嫌だなあと思う人でも、一つ、二つ、ここは素晴らしいなと思えるところを見つけられるものです。」

反面教師にして学ぶことも可能なのだ。そうであれば、どんな人からでも学べるというのが真実だ。学ぼうとしなくなると、人は学べなくなる。学べなくなると成長はそこで止まる。

自分の考え方とか、選択とか、つくづく間違っていたなと実感することがある。しかし、残念ながら、それにはっきり気づくのは20年後とかなのだ。いやはや、もうちょっと早くから気づいて、コツコツ生きていればと反省してばかりだ。でも、気づいたときがチャンスだろうか。

私は、どこでも、誰からでも学べる人になりたい。

大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq