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私には文章を書く時に意識してることがあって、特にどなたかの書いた文章にリアクションする時なのですが、「僕もそうなんですが……」とか「僕も同じような境遇なので…」とか「も」って書いていたら、「ホンマにそう思ってるん?」と自分に問いかけてから、お返事するようには心がけています。

僕と相手はまったく別のパーソナリティで、まして環境もキャリアも違うわけですから、やすやすとは「も」になれないわけです。

私とあなたは、宇宙人ほども違う。同じ言葉で話してはいても、その人が発する言葉に込める意味には、それぞれに癖があって、全くの別人格である私には、言葉の意味は理解できても、受け入れることなどできない場合があるという絶望感が「対話」を深みのあるものにするのだと思います。

「対話」というワードは、国際政治に関する報道でよく耳にします。「ウクライナの停戦に向けて3回目の対話が行われました」立場の異なる者同士が折り合いをつけるためにする会話の一つの作法が「対話(Dialogue)」です。

国際的な問題解決だけでなく、日常にも解決すべき問題は多々あります。そんな時、私たちは「対話」という作法を用いなければならないのですが、「対話」と呼べる経験に乏しくて途方に暮れるのです。

「安心して対話ができる場」を作らないといけないな。僕の使命です。

I have a dream. 私の「夢」は、日本に活動家を養成する学校をつくることです。 私の「モットー」は、Life is Art. Life is Play. -生活をアートできるようになれば既に幸せ-