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口は動いて手は動かない

まだ知らない失語症/もっと知りたい失語症
1章 「してやったり」感
(2)口は動いて手は動かない

 ことばに過剰に重きをおくことに疑問を持つようになったきっかけのは、勤務中に聞こえてくる同僚の会話であったと思います。
 
 リハビリの仕事は、患者さんの安全を確保しながら行う必要があります。
 例えば、治療台の上で患者さんの手足をストレッチしているとします。急に患者さんが「鼻をかみたい」と言ったとして、患者さんを一人にして治療台から離れてティッシュを取りに行ったりはしません。周りの同僚にティッシュを持ってくるように声をかけて、ティッシュを持ってきてもらいます。
 患者さんの状態にもよりますが、治療台で一人になった患者さんが動き出してしまって、治療台から転落する事態を予防するためです。
 
 また、患者さんの横を付き添って歩いていて、患者さんが座るための椅子が必要になった時には、同僚を呼んで椅子を持ってきてもらいます。患者さんから離れて椅子を取りに行っている間に、患者さんがふらついてしまうと支えることができずに患者さんが倒れてしまう、このような事態を予防するためです。
 自分が患者さんのそばに付いているために人を呼ぶことは、患者さんの安全を守ってリハビリをするために必要なことです。

 しかし、患者さんの安全を守るためという理由を越えて、同僚が人を呼ぶ声に気づくことがあります。
 
 少し手を伸ばせば届くところにある書類を、同僚を呼んで自分に渡すよう伝える。
 同僚を呼んで指示することにとどまらず、例えば、同僚の間で、退職予定者に退職祝いの花束を贈ろうという話になった時のこと、「誰かが花束を買ってきたらいい」というところまでは話が行き着いても、「誰が」買いに行くのかは宙に浮いたまま。ましてや「自分が買いに行く」とも言わない。

 まるで「動いたら損をする」と証明しているかのようです。
 自分より年下や経験の浅い同僚を自分の指示で動かしたい。そんな思いがあるのかもしれません。
 私は戦史に全く詳しくありませんが、戦(いくさ)で大将が陣地から動かないという戦法があったと思います。しかし、技術や経験年数のさほど変わらない同僚の間で、「自分が大将だから動かなくてよい」というのもおかしなものです。

 同じ部署内で勤務している同僚なのに、「私は指示を出す人」、「あなたは作業する人」、すなわち「手あるいは身体を動かす人」と分かれるようです。
 「指示を出す」を「ことば」に、「作業」を「手」に置き換えると、「ことば―手あるいは身体」となり、その関係は「支配―被支配」となっているのではないでしょうか。    
  指示を出す人―作業する人
  ことば   ―手あるいは身体
  支配    ―被支配

 発達心理学者の正高信男先生は、著作の「子どもはことばをからだで覚える⁽³⁾」において、「どうして言語の身体的側面が軽視されるようになったのだろうか」と疑問を投げかけています。その理由として「支配―被支配関係の長期維持」にとって都合よかったからだと読み取ることができました。

 先ほどの「退職祝いの花束」のエピソードには、続きがあります。
 ある同僚と、自分から「買いに行きます」と言えば「出過ぎた行為」と言われ、言わなければ「気が利かない」と言われ、どちらにしても注意を受けるので、板挟みのようだと話しました。そして、板挟みに使うのは、「手」ではなく、「ことば」なのではないでしょうか。あるいは、両者の関係そのものが招いているのかもしれません。

 以上のエピソードは、これまで所属してきた経験を基にしました。しかし、あらゆる医療機関のリハビリテーション科がこのような構造にあるのではないと思うことを一言、添えておきます。
 
 身体の動きや行動で伝え合うことは、正高先生のことばを借りると「軽視されている」わけですが、失語症者との「伝える」あるいは「伝わる」には、動きや行動が有効な場合があります。むしろ、ことばにこだわり過ぎない方が互いに伝え合いやすいとも言えます。

 前項で述べた、詩人のまど・みちおさんが絵に没頭されていたことを知った時の「してやったり」感は、ここに結び付きます。
 “ことばにこだわり過ぎない”。

 失語症者との「伝える」あるいは「伝わる」においては、動きや行動を活用するの有効性を期待できます。しかし、動きや行動で伝え合うことが軽視されていては、失語症者との「伝える」あるいは「伝わる」に活用しづらく、たとえ有効であっても伝播しにくいのではないでしょうか。

口は動くが手は動かない

(まだ粗削りです。ここから掘り下げていけたらと思います)


参考文献:

(3)正高信男 「子どもはことばをからだで覚える メロディから意味の世界へ」中公新書 2001

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