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失語症文化論仮説La hipotesis sobre la cultura de personas con afasia    7章 「わかったふり」気遣い・支配 1.わかったふりは気遣いか

1.わかったふりは気遣いか
 次に示すのは、筆者が聴いたエピソードである。           ある失語症者の協力を得て「失語症体験を聴く会」を開いた。その失語症者が「失語症チェックリスト 1)」の問いに答える形で進行した。
 チェックリストは、正否で回答する質問形式となっていた。リストの1つである「失語症の人が言うことがこちらに理解できなくても、相づちをうってあげる」に対し、協力者の失語症者が印象的なコメントをしていたことを後述する。
 失語症はことばを話すことが困難となる障害である。この質問は、失語症者に何度も聞き返すことが負担になることを推察して、わかったふりをするのがよいのだろうかということを尋ねている。
 筆者の勤務先においても、失語症者の言っていることが理解できないときにわかったふりをすること(図1)は「気遣いしている」と解釈される傾向がある。

失文7図1

図1.失語症者を気遣って、わかったふりをする

 この項目に対し、「体験を聴く会」を協力した失語症者は「後になって相手に伝わってなかったといずれわかるときがきます。そのときにわかっていると思っていたのに!と思うと悔しくてなりません」と印象的なコメントを述べていた(図2)。

失文7図2


図2.わかったふりに対する双方の意見

 「体験を聴く会」でのエピソードを聴いた時、筆者は「先行研究を支持する結果であった」という認識しか持たなかった。
 上述の先行研究では、失語症者と接する人たちには周知されておらず、説明した後も「わかったふりをすること」を適切と判断する傾向があったことが示されている。
 失語症者と話すとき、「失語症者の言うことをわかっていなくても、わかったふりをしてうなずく」とは、失語症者に気遣いをしているという思い込みがあるためといえるのではないだろうか。


 「わかったふり」をすることが、失語症者との「伝える・伝わる」を妨げる。
 このことこそ、失語症者の周囲の人たちが失語症者との「伝える・伝わる」を難しいと感じる理由の1つになっていると考える。
 「わかったふり」をするのは、失語症者の負担を減らすためなどの気遣いであったはずが、失語症者にとっては「わかったふり」が望ましくないと言われる。板挟みにあっているのように感じるのではないだろうか(図3)。
 

失文7図3

図3.わかったふりによる板挟み

 「気遣い」としてわかったふりを行うのは、何によって引き起こされるのだろうか。 


引用文献
1)西脇恵子、安保直子、佐藤ゆう子:失語症会話パートナー養成講座3年間の実績から  第4回日本言語聴覚士協会学術集会 抄録集 2003

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