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失語症文化論仮説La hipotesis sobre la cultura de personas con afasia7章 「わかったふり」気遣い・支配     2.わかったふりに潜む支配

2.わかったふりに潜む支配
(1)日常に馴染み
 失語症者が伝えていることがわからなくても、わかったふりをするのは気遣いからだと捉えられがちである。
 気遣いならば、世の中では望ましい言動のように受け入れられるであろう。
 しかし、失語症者との「伝える・伝わる」においては、望ましいばかりではない面が浮かび上がってくる。
 
 この節では先んじて、失語症を持たない者同士の場合を検討する。
 筆者が「わかったふり」をしたことを振り返る。
①旧友と話していて恩師のことが話題になり、恩師の体調が芳しくないことに話が及んだが、筆者はそのことを知らなかった。旧友に恩師と疎遠であることを知られたくなくて、わかっているふりをした。


②同職種である言語聴覚士の集まりに参加した際、ある訓練方法(例えばCIセラピー)が話題となった。知っていることにしないと疎外感に苛まれそうで、わかっているふりをしてうなずいていた。
 
 どちらのケースも、すぐに思い起こせたのではなかった。わかったふりをしたことは思い起こすのに時間がかかるほど、「その場を都合よく収めるために無自覚に行われる方略」として日常に馴染み、自覚がないまま行っていると思われる。
 筆者の周囲の人たちによる「わかったふり」も、注意を払わないと見過ごしてしまう。筆者がわかったふりをしていることと同様に、日常に馴染み、会話に溶け込んでいる。

(2)わかったふりが招く支配
1)話し手・聴き手のわかったふり
 筆者は勤務先で、同僚Aが同僚Bに合わせてわかったふりをしているのではないかという場面に度々居合わせる。わかったふりをするのは、相手に同調することで諍いを避けるためと推察する。これは、上述したようにわかったふりが「都合よく収めるための方略」であると同様である。
 時に、そこには支配が潜んでいることを窺わせる。
 筆者が勤務先などで居合わせたことを基に、わかったふりを話し手と聴き手ごとに示す。
①話し手による支配  
 例えば、新規入職者に同僚Cが部署のルールを伝えていないのに、なぜ知らないのかと質問しているとする。新規入職者が「まだ教えてもらっていませんでした」と答えたところで、同僚Cは「そんなことも知らないなんて」と返している。
 話し手は、聴き手に自分が正しい、自分が聴き手よりも上の立場であること相手に認めさせたい。聴き手が同意しないなら聴き手の意見を否定する。
 そして、話し手の意図を察知した聴き手はわかったふりをする(図4)。

失文7図4

 

図4.話し手が支配・聴き手がわかったふり
 
②聴き手による支配
 わかったふりによって支配をするのは、話し手ばかりではない。聴き手となる場合もある。例えば報告や相談などは、話し手にとっては業務の一環である。
 話し手からの報告に対し、そんなことは自分は既に知っている。自分の方が情報も知識も持っている。自分の方が上の立場であると認めさせたい。
 例えば、同僚Dが「担当患者が摂食訓練の中で食事ができるようなってきた」ということを同僚Eに伝えたとき、同僚Eがこのようなコメントを返す。「その患者は話ができるのだから食べられるようになったのは当然ですよね」。
 その患者が食事ができるようになったことが「当然」なのかは明らかではないのにも関わらず、である 注1)。
 自分が報告したことが、聴き手によって「当然」であり、取るに足らないことだと認定される。次に何かを報告するときもまた、「自分の報告は取るに足らないこと」を積み重ねてしまうのではないだろうかと、報告前にブレーキをかけることになるのであろう(図5)。

失文7図5


 図5.話し手がわかったふり・聴き手が支配


2)空気に流されて「聴く」、そして「話す」
 伝える人も伝わる人も、「何を伝えているのか」という内容より、その場の空気に流されて話し、聴いているのではないだろうか。 劇作家で演出家の鴻上尚史氏は「自分の発言が場の『空気』を乱していないか(中略)、不安になればなるほど敏感に」なると述べている 2)。
 相手はその話に納得していなくても、その場の空気を読み、同調したようにわかったふりをして頷く。「何か言わねばならない」と察して、自分の意見を言えば否定されるので、このまま同調していた方が楽という面もあるかと思われる。
 また、相手に合わせて、心にもないことを話してしまう。
 話している内容以上に、両者の関係が伝える内容を操作しているとすら感じることがある。
 東京大学の安富歩先生は、「コミュニケーションはコンテキスト(文脈)に依存する」と述べていることからも、ことばだけによって話の意味を伝えているのではない。安富先生の著書「ハラスメントは連鎖する」3)から引用する。

 メッセージそのものだけでは、意味が確定していないことに、注意する必要がある。この言葉は、情況によって意味がいろいろになる

 同じことばであっても、話し手と聴き手の両者の関係性の中で意味が変わるのことを示している。
 
 両者の関係性によってことばの意味が変わるのであれば、わかったふりをするように操作されるのは聴き手に限ったことではない。話し手もわかったふりへと操作される場合があると考えられる。¥

2)鴻上尚史 「空気」と「世間」 講談社現代新書2009

3)安富歩 ハラスメントは連鎖する「しつけ」「教育」という呪縛 光文社新書 2007

注1)患者が食事ができるようになったのは、患者自身の回復力や周囲のスタッフのケア、患者の家族による励ましなど様々な要因が考えられる。


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