亡き母の記録⑥〜喪主として

当直医が出ていった後は忙しかった。

母が亡くなった瞬間から、私は見舞いに来た家族から、喪主へと変わった。看護師さんが慌ただしく出入りする病室で時折訪れる母と2人きりの時間があっても、喪主としての自覚はなかなか湧かなかったが、自分以外に喪主をする人はいないのだ。

まず、下調べしていた全国展開のお葬式サービスに電話をして、葬儀社の手配をした。
それから、遺体安置所に搬送するための寝台車が来るまでの間、看護師さんを手伝って、母にエンゼルケアをした。久々の入浴と化粧で、母は生前の元気な頃のようになった。
次に、病室を片付け退院準備を済ませ、車が来るのを待つ。子供への連絡もこの時済ませた。
寝台車が病院に到着して、葬儀社の遺体安置所まで移動すると、今度は葬儀社と正式に葬儀の契約をした。

母とは一旦別れ、宿泊先へと移動する。もう終電もない時間だったので、タクシーを呼んだ。

自分の両親を看取り、墓に入る手続きなどをした際に、思うところがあったらしい。
母は生前にお墓の準備をしていた。都が管理する霊園の合葬式墓地の使用許可証を入手していたのだった。

宿泊先で落ち着いた私は、母の親族に連絡を取り亡くなったことを伝えた。葬式はどうするのか尋ねられたが、火葬式にするのだと言ったら了承して貰えた。
火葬式というのは、通夜式や告別式などを行わないで、火葬場で火葬と収骨のみを行う式だ。
人によっては寂しいと思うだろうが、何せ元手がなかったので仕方なかった。

火葬日前に子どもと一緒に母の顔を見納めに行った。病院を出た時と変わらない母を見て改めてその死を体感し、涙が込み上げてくる。
葬儀社の人から納棺できるものを聞いたので、好きだったものを用意することにした。

火葬日、私は喪服に着替えて斎場に向かった。
葬儀社の人が待っていて手続きを済ませると、10分ほどで火葬場に案内され、棺に好きなものを入れてあげた後、母は空へ還った。

喪主としての仕事はまだあるが、一旦区切りがついて、ほっとしたのだった。

つれづれに書き連ねていきます。よろしくお願いします。