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生と死

私たちは、死に向かって生きている、そう言ったのは高校時代の数学の教師だった。

あの頃の私は
「生きてるのに死ぬこと考えるなんてないわ、ないない!」
と、茶化して教師の言うことなんか聞いていなかったけど。
17才。
生きるも死ぬも、知らんがな!今さえよければいいじゃん、サボろうぜ!遊ぼうぜ!と目の前の欲望に忠実な子だった。


今はどうか。
あれから40年弱。
いろいろ価値観も考え方も変わった。
高校生の時に聞いた「私たちは、死に向かって生きている」のフレーズの意味が少しわかってきたような気がしている。


借金返済をするまでは絶対死ねない、と考えていたが、幸か不幸かコロナ禍の間に遊興費や交際費の支出が無くなったおかげで、その分返済に充てることが出来、無事完済した。
なので、絶対死ねないという重責はないから気が楽になった。
いつ死んでも大丈夫!と妙な気楽さがある。


沖縄に行こうと決めた時、もし飛行機などの事故があったとして、私が死んだとしても、それはそれでいいやと思える自分がいた。
死にたいと思っているわけじゃないけど、毎日そこそこ満足に過ごしているから、思い残すことはない。


ありがたいことに、事故もなく無事沖縄から帰宅して、また平凡な毎日を送っている。
非日常があるから、平凡な日常のありがたみもわかる。

明日死んでもいいように、自分を満足させておきたいなとは常に思ってる。

生と死を意識するようになったのは、2012年に出張で行った沖縄での平和学習からだ。
悲惨な戦争の惨状を見て、聞いて、触って、感じて五感で学習した。
その時の状況を言葉で綴ろうとしても、全て陳腐で偽善に聞こえるようで、きれいごとしか言っていないんじゃないかと思ってしまう。
なので書けないのだが。

あの時、体の中から湧き出るような苦しみと絶望、悲嘆、恐ろしいほど感情が動いた。
だから簡単な言葉で「戦争はダメ」なんて、私の口から言うのは憚られた。
もちろん戦争はダメなのだけど、その簡単な言葉で済ませられるようなものではないということだ。
だめだ、本当にこういうことが書きたいのか?、これで伝わるのか?わからないので、やっぱり書けないや。



もう一つ、3年前から心理学を学んで、社会学と哲学を少しかじり出すと、忌みべきものだと思っていた死に対しての考え方が変わってきた。
それをうまく言語化できないもどかしさを、常に抱えている。
書き出すと頭の中の言葉たちががバラバラになり、違う違うそうじゃないと書く手を止める。

ボキャブラリーが少ないからなのかと、本を読んでみるが、ボキャブラリーは一向に増えず書ける気配はない。


こういうのは焦っちゃいかん、そのうち書ける日がくるだろう。





戦争について。
相変わらず世界中で戦争が多発していて、同じことを繰り返している。
結局、人間と言う生き物は戦争をしてしまうDNAがどこかに潜んでいるのだろうか。


沖縄県立博物館で見た、第32軍司司令部壕の模型。
首里城の下に壕がある。
沖縄県のHPで調べてみた。



1944年(昭和19年)3月、南西諸島の防衛を目的に第32軍が創設され、同年12月には第32軍司令部壕の構築がはじめられました。(略)第32軍司令部壕は首里城地下にあり、直線距離にして約375m、壕の総延長は約 1,000mと推定されています。

第32軍司令部壕より



日本の捨て石とされた沖縄の惨状を思い、また私の感情が揺さぶられる。