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雌としての勘

二度目の妊娠がわかった時のこと。20年以上前のこと。
それは志田の子だった。

初めての妊娠ではないので、体の変化も現れておりおおよその予測はできていた。
妊娠判定では陽性と出た。


やっぱりな。


ただ、初めての妊娠の時のような喜びは殆どなかった。
不倫相手の子を妊娠してるという後ろ暗い思いが、新しい命を喜べないという理由だが、それだけでもなかった。



気持ち悪い。

好きな男性の子を宿しているにもかかわらず、こんな感情もあった。
それが何から来るのか、当時ははっきりとわからなかった。
このnoteに志田とのことを書くようになって、”気持ち悪い”という感情がだんだんとわかってきた。



産んじゃいけない気がする。

産んじゃいけない、産みたくないと思うのだが、私の口からそんな言葉を志田の前で発することは絶対するまいと思っていた。
志田にとっては私が堕ろしたいと考えていると知れば、好都合だと思うだろう。
私は、敢えて志田の口から堕胎の言葉を言わせることで、思う存分志田を責め立てることができ、立場上優位にいたかったからだ。

まぁその辺の話は前回書いたので割愛するとして。


この、体内にある喜びには程遠い違和感と気持ち悪さと、産んじゃいけないと思わせた理由は、志田が発達障害だからだろうと今、思える。
当時は志田が発達障害だとかは全く思いもせず、ましてや発達障害なんて言う言葉も知らなかったから。
ただ、空気の読めないクレーマー気質のある俺様野郎な男性だと思っていただけだったから。

でも、何か変、どこかで感じていたんだ私。
妊娠して志田の遺伝子が私の中にいるという事実、それが気持ち悪いと。

生命体の雌として、異物が体内に入って違和感を感じるし嫌な予感がする、なんだかそんな感じ。

「この遺伝子は入れてはならぬ」

お告げ的ななにかみたいな。


当時この気持ち悪さは、不倫の罪悪感に紛れていたのでさほど問題にはしなかった。
というか、まぁあれだ、修羅場でそれどころじゃなかったし。
私が志田を責めれば責めるほど、志田は詫び、赦しを求め、必死になる、そんな様子をざまあみろとほくそ笑むんだ。
罪悪感もあるにはあったが、志田を平伏したと言う快感も大きかった。

あの時の私の顔は修羅の形相だっただろうな。




あの時のあの選択で良かったんだ。

そう思うことで苦しみから逃れようとしてる。

そう思わないと精神がもたないもんな。

志田の遺伝子を受け継ぐ子供なんて、考えただけでもゾッとする。

冷酷に考えておかないと、私の中に何日間か芽生えた命を殺めた自分が許せなくなってその重さに押しつぶされそうになるから。